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工藤重敏

工藤重敏

少尉 海軍

戦歴

大正9大分県の農家生→昭12海軍入団、最初整備兵→15.8 53期操練卒、陸偵操縦者転じ→佐伯空経て16.10台南空配属、比島・蘭印作戦に戦闘機隊誘導・偵察機として参加、17年春ラバウル進出→当時ラバウルはモレスビー等基地の敵大型機夜間空襲続くも実害少なく、心理的効果は無視できず新鋭夜間戦闘機出現待望→小園251空司令主唱の斜め銃装備「月光」考案→17年秋本土帰還、翌年5月ふたたびラバウル進出まで新夜戦の錬成に努めた工藤上飛曹、5.21待望の夜間撃墜第1号(深夜2時ごろ月明かりと味方探照灯協力でB-17捕捉、斜め銃で撃墜、3時半ごろ別の1機撃墜)、この戦果を皮切りに数機の月光がラバウルの夜間制空権を取り戻し、7月にはバレレ基地前進して夜間邀撃当たる→戦果は6.11・6.13にB-17各1機、6.26に2機、6.30に1機、7.7夕方ブイン上空で下方斜め銃によりハドソン1機、2カ月間で8機を葬り「夜の王者」と称され草鹿南東方面艦隊長官から「武功抜群」の軍刀を授かる→18年秋以降爆撃重点が昼間に移り夜間撃墜困難化、翌年2月横空帰還、本土防空当たる→20.5不時着事故で負傷、療養中に終戦、昭和35年この時の負傷が原因で病死

月明かりと探照灯を頼りに夜間撃墜第1号をあげ「夜の王者」と称された

所属
佐伯空→台南空(陸偵→月光)
撃墜の記録
5月21日夜、B-17を2機撃墜(夜間撃墜第1号)。以後6〜7月の約2カ月でさらにB-17・ハドソン計8機撃墜。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
  • その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=海軍戦闘機隊 誌面258

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