紙片の蔵

THE KURA — DEEP ARCHIVE

動画は、一枚の紙片の物語を、数分に凝縮したもの。ここ「蔵」は、その底にあるもの——残された言葉、辿った道、確かめた事実、そして動画で語りきれなかった素材——を、そのまま置いておく場所です。

入り方は三つ。名前から辿るか、地図から辿るか、台帳(部隊・時代の索引)から辿るか。

奈良
735

平城京の木簡

書き手は、それぞれ不詳 馬を探す一メートルの立て札。三文字の欠勤連絡。犬と鶴の餌の伝票——捨てられたから、残った。 #009 奈良時代 / 710–784
江戸
1666

七日で回るものだけが、無かった

こよみと、やすみのひ 寛文六年の暦は、日ごとの欄が仮名でびっしり埋まっている。十二日で戻るもの、六十日で戻るもの。ただ、七日で一回りするものだけが見当たらない。二百十年後、一枚の達が出る——「來ル四月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候條」。 #022 寛文六年〜明治九年 / 1666–1876
1701

朝日文左衛門

あさひ・ぶんざえもん 尾張藩の御畳奉行が、十八歳から四十四歳まで、二十六年八ヶ月ほぼ毎日書いた日記。全三十七冊、およそ二百万字。サボりも、飲みすぎも、殿さまの悪口も、そのまま。誰にも見せなかったので、二百年余り蔵にあった。 #016 元禄 / 1691–1717
1799

犬が一匹で、伊勢まで

おかげいぬ 犬が一匹で伊勢参りに行くことがあった。首の竹筒に路銀、宿場から宿場へ人の手のリレー。明治38年、それを見て育った絵師が文と絵で書き残した——作り話と思われても、見たままを記す、と。 #019 江戸時代
1800

伊能忠敬

いのう・ただたか 歩いて地球の大きさを測ろうとした六人が、海の前で八日間止まった。日記は、渡れなかった日も同じ調子で書いている。 #013 寛政十二年 / 1800
幕末
1860

酒井伴四郎

さかい・はんしろう(読みは推測) 大老が桜田門で殺された年、単身赴任の下級武士が江戸で書いた半年——めしの話ばかり。 #006 万延元年 / 1860
昭和
1904

上村彦之丞

かみむら ひこのじょう 薩摩に生まれ、日清・日露を戦った海軍大将。渾名は船乗り将軍。踊れないのに舞踏会で総督夫人の手を取り、弾に頭を下げる水兵を「敵に禮するは卑怯なり」と叱り、開戦前の甲板で「各自の睾丸を檢すべし」と言った。逸話は山ほど語り継がれているが、そのほとんどは、そばで見ていた人の証言である。ただ一つ、海軍の公文書に書かれていることがある——明治37年8月14日、蔚山沖。撃った相手を、その日のうちに六百二十六人、海から引き上げた。 #024 嘉永2年〜大正5年 / 1849–1916
大正
1922

知里幸恵

ちり・ゆきえ 文字のない言葉を、書き方から決めて書き留めた十九歳。十三篇の神謡と、その序文。 #011 大正11年 / 1922
1924

海の底と、話ができた

だいよんじゅうさんせんすいかん 大正十三年、佐世保の沖で潜水艦が沈んだ。潜水夫が船体を叩くと、中から返事があった。電話が繋がり、四時間四十五分、海の上と海の底で話ができた。その暗闇で、手帖と名刺の裏に紙が書かれている。 #020 大正時代
昭和
1933

十五歳の前に、十本の道

しょうねんこうくうへい 飛行機乗りになる道は、陸軍に五つ、海軍に五つ。どこから入るかで、書く紙が違い、受ける試験が違い、入る学校が違った。総ルビの案内書に、その十本が並んでいる。 #021 昭和8年 / 1933
1940

陸軍中野学校

りくぐんなかのがっこう 昭和十五年、陸軍が秘密戦の学校をつくった。正式な名前は後方勤務要員養成所で、「陸軍中野學校」という名前は、この年の紙の上では括弧の中にしか出てこない。各地の軍学校から三百八十四名が推薦され、書類と口頭試問で百四十一名に絞られた。 #026 昭和
1942

丸田年道

「年道」の読みは未確定 米国が “No Name” と記録した、北海道の農家の若者の日記。八十年、まだ家に帰れていない。 #007 昭和16–17年 / 1941–42
1943

田村義一

たむら・よしかず 自分で「完」と書いた手帳が、五千キロと六十年を渡って家に帰るまで。 #005 昭和18年 / 1943
1943

マキンの書き手

著者不詳 名前も原本もない。敵の翻訳でしか残らなかった、名もなき日記。 #008 昭和18年 / 1943
1943

磯崎千利

いそざき ちとし 松山中学を出て海軍に入った。階級は4等水兵、いちばん下の入口である。戦闘機の操縦者になって10年、一度も敵機を墜としていない。腕のせいではなかった——記録には「戦運に恵まれず空戦の機会を得なかった」とある。初めて墜としたのは昭和18年6月16日、ルッセル島の上空。30歳を過ぎていた。 #023 大正2年〜平成5年 / 1913–1993
1944

中川州男

なかがわ・くにお 最後の電報は「サクラ」を連送する——意味を先に届けておいた紙がある。二日後の午後四時、その言葉だけが海を渡り、受け取った誰かが余白に時刻を書き足した。名前は、残っていない。 #015 昭和19年 / 1944
1944

百日守った山と、その記録

らもう 中国・雲南の山を、千二百人ほどが百日守った。陸軍の記録の最後の行には「同日一八〇〇、全員壮烈なる戦死を遂げたり」とある。その二時間前に、山を降りた人たちがいた。 #018 昭和19年 / 1944
1944

一枚の写真と、六十六年

ペリリュー・1944ねん 説明の紙に書かれた名前で呼ばれた海兵隊員は、どこにもいなかった。写真だけが有名になり、写っている本人は六十六年のあいだ、誰なのか分からないままだった。 #028 昭和19年 / 1944
1945

上原良司

うえはら・りょうじ 三兄弟、全員戦死。特攻の前夜、原稿用紙に「自由主義者」と書いて散った二十二歳の学徒。 #001–004 昭和20年 / 1945
1945

佐藤冨五郎

さとう・とみごろう 飢えの島で、匙への感謝と家族への言葉を書き続けた父の手帳。絶筆は「最後カナ」。 #010 昭和18–20年 / 1943–45
1945

林市造

はやし・いちぞう 母は志願に反対していた。反対を押して選ばれた二十三歳が、出撃の二日前に、その母へ書いた。「母チャンのいわれるようにした方がよかったかなあとも思います」——選んだことと、選んだことへの迷いが、同じ紙の上にある。 #014 昭和20年 / 1945
1945

硫黄島の、二人の捕虜

いおうじま 敵が書いた降伏勧告の手紙を、自分たちが元いた部隊の司令部まで運んだ日本兵が二人いた。朝に出て、十二時間半後に戻ってきた。名前は、どちらの国の記録にも残っていない。 #017 昭和20年 / 1945
1946

名前を三つ持った男

さとう ただし・1944ねん 本名と、偽名と、記号。三つの名前を持って戦争を過ごし、他人の名前のまま帰ってきたとき、自分の戸籍が消えていた。 #030 昭和19年 / 1944
1947

三枚の紙と、三十四人

ペリリューとう・1947ねん 海軍少将の署名がある紙は、二度とも「偽物だ」と退けられた。三十四人を壕から出したのは、肩書きがひとつも書かれていない紙のほうだった。家族の字である。 #025 昭和22年 / 1947
1954

山本幡男

やまもと・はたお 紙を持ち出せない収容所で書かれた、ノート十五ページ・約四千五百字の遺書。運んだのは、覚えて帰った人たちだった。 #012 昭和29年 / 1954
部隊全6隊紙片の主が属した部隊。全国 3,094 隊の骨格目録も、ここから引けます。

箱のなかに人の名前が入っているのは、いまひとつだけです ── 振武隊の名簿(86隊・709人/一覧に名前の出ている全数)。上原良司も、その709人のなかにいます。

用語全15語動画に出てくる言葉を、その来歴ごと。
応召(おうしょう) 一枚の紙で、農家の息子が兵隊になる。 学徒出陣(がくとしゅつじん) 大学の机から、そのまま戦場へ。 遺品返還(いひんへんかん) 手帳が、六十年かけて家へ帰る。 勤番(きんばん) 江戸詰めの単身赴任。だから、めしの話ばかりになる。 鹵獲文書(ろかくぶんしょ) 敵の翻訳でしか、残らなかった言葉。 木簡(もっかん) 紙が貴重だった時代の、書いて削って捨てる紙。 飛び石作戦(とびいしさくせん) 攻めずに、素通りする。島は、置き去りにされた。 カムイユカㇻ(神謡) 神が、自分のことを自分で語る。 俘虜郵便(ふりょゆうびん) 検閲つきの葉書。書ける日本語と、書けない日本語の境目。 天文方(てんもんかた) 幕府の、空と暦の役所。改暦をやれる人が中にいなかったとき、外から人を呼んだ。 豫科練(よかれん) 海軍の飛行豫科練習生。甲種・乙種・丙種の三つに分かれ、修業期間は一年六月・二年六月・六月と勅令が定めていた。丙種だけは、すでに海軍にいる兵の中から選ばれる。 軍旗奉焼(ぐんきほうしょう) 旗を焼いた、と記録に書かれている例がある。硫黄島では三月十四日、洞窟の中で。拉孟では九月七日の午後六時に。どちらも、そのあとの記録がない。 爾後消息不明(じごしょうそくふめい) そのあと、どうなったか分からない。公式の記録が、そう書いて終わっている。 戸籍の訂正(こせきのていせい) 戸籍を直すには、役所ではなく裁判所の許可が要った。 防諜(ぼうちょう) 秘密を守る側が、まず自分の学生に聞き取る。

確かめられたことは、確かめたと。
分からないことは、分からないと。

紙片の日本史/Fragments of Japan
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