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杉野計雄

杉野計雄

飛曹長 海軍

戦歴

山口県生まれ、セメント会社勤めから海軍志願、丙3期予科練→16年11月飛練課程修了、春日丸戦闘機隊配属→17年4月6空配属→ミッドウェー作戦で空母赤城乗組(占領後駐屯予定だったが空戦機会なし、母艦沈没後海中から救助)→7月小型空母春日丸乗組(船団護衛・飛行機輸送)→10月大村空教員→18年2月空母翔鶴乗組、トラック島進出→分隊長小林保平大尉の下で猛訓練→11月艦隊航空隊進出に伴いラバウル前進、本隊引きあげ後も253空に残留し19年3月内地帰還まで連日迎撃戦(初陣11月2日、3機撃墜)→本土帰還後は教員として筑波空等で勤務したのち19年8月634空転属、台湾沖・比島航空戦参加→20年2月台湾引きあげ、博多空特攻教員として終戦

空母沈没後、海中から救助され九死に一生を得たことがある

所属
6空→赤城→翔鶴→253空→634空→博多空
撃墜の記録
総飛行時間1,994時間・戦闘飛行495回(うち空戦約100回)、撃墜32機と記録資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
  • その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=海軍戦闘機隊 誌面179

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