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菅原正夫
菅原正夫
上飛曹 海軍戦歴
大正13秋田県生→昭15.12乙25期予科練生として土浦入隊、18.9第29期飛練課程終了→翌年1月252空配属、戦闘302飛行隊に属して三沢で錬成→19.6「あ」号作戦参加のため菅飛行隊長の2番機として硫黄島前進、24日敵艦上機群の来襲に会い緊急離陸、超低空で僚機長以下墜落、菅原1飛曹機は南方に脱出したのち反転、グラマンの編隊に奇襲突入して3機撃墜、被弾して落下傘降下、10時間泳いで救出→ついで7.3の迎撃戦ではF6F1機撃墜ののち、34発被弾して片車輪で着陸したが、敵傷でも負わなかった→翌4日の空戦でも陸戦して2機撃墜、うち1機は米艦隊の弾幕射撃下単機孤立していた一撃で葬った弾着観測機であった→その後601空転じ、沖縄航空戦参加ののち奈良県大和基地で終戦
米艦隊の弾幕をかいくぐって観測機を単機撃墜した
- 所属
- 三沢302飛行隊→601空
- 撃墜の記録
- 総撃墜機数7機(公認)。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面263
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