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鈴木清延

鈴木清延

飛曹長 海軍

戦歴

大正3福岡県生→昭8.5機関兵として海軍入団→10.8 28期操練卒、戦闘機操縦者転科→大村空・甫屋空勤務中に支那事変勃発、台北進出で防空任務→10月末13空付転属、上海基地移動→12.2南京空襲初陣、南郷大尉指揮96艦戦の2小隊3番機で2機(うち不確実1)撃墜、部隊感状授与→翌年2.25南昌攻撃で田熊大尉の2番機として1機撃墜も被弾負傷→3月12空付転属、9月本土帰還まで中支航空戦数次参加、功5級金鵄勲章(12空時代の個人戦果は不明)→佐伯・大分空教員→16.10加賀乗組、真珠湾攻撃で第2次攻撃隊制空隊小隊長も敵機影見ず効果不確認→ダーウイン攻撃経て17.6ミッドウェー作戦、5日朝ミッドウェー島攻撃隊制空隊で中隊共同12機撃墜、母艦上空直衛2回発艦、小隊共同で雷爆撃機計14機撃墜、夕方不時着水し駆逐艦萩風救助→本土帰還後隼鷹乗組転勤、19.10.26南太平洋海戦で第2次攻撃隊直衛隊として米空母攻撃に向かい列機とともに未帰還、戦死認定

ミッドウェーで小隊共同14機撃墜も帰らぬ人となった

所属
13空→加賀→隼鷹
撃墜の記録
総撃墜機数9機(公認)以上。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
  • その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=海軍戦闘機隊 誌面248

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