太平洋戦争で最も過酷と呼ばれたペリリューの戦い。その終わりを告げた電報の余白に、名もない1行がある
1944年11月22日、ペリリュー島の守備隊長は司令部へ一通の電報を打ちました。軍旗を処置したこと。機密書類を処理したこと。そして——最後の電報は「サクラ」を連送する、と。言葉の意味を、先に届けておいたのです。その二日後の午後四時、「サクラ」だけが海を渡りました。受け取った誰かが、二日前の電文の余白に、小さく書き足しています。「十一月二十四日 一六〇〇 「サクラ」電受」。書いた人の名前は、残っていません。
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