紙片の日本史

FRAGMENTS OF JAPAN
新着 1944

太平洋戦争で最も過酷と呼ばれたペリリューの戦い。その終わりを告げた電報の余白に、名もない1行がある

#015

歴史に埋もれた、ふつうの人の紙片を、一枚ずつ辿る番組です。日記、手紙、木簡、帳面。書いた人の多くは、名前が歴史に残る人ではありません。

確かめられたことは確かめたと書き、分からないことは分からないと書きます。確度=🟢一次資料で確認・🟡書物由来・⚪️名前だけ

十二枚紙片の蔵一枚の紙には、書いた人がいますどうぞ 千三十九人人の索引その人には、いた隊があります。名簿だけの七百九人も 三千百八十部隊の目録その隊には、辿った場所があります。空欄は「書かれていない」の意味 七十六の地点紙片の地図紙片が書かれた場所・辿った道へ
奈良
735

「馬が、いなくなりました。片方の目が、白い」奈良の道ばたに立っていた1300年前の張り紙は、今の迷い犬ポスターと同じだった

#009
江戸
1800

56歳の隠居が地球の大きさを測ろうと歩いたら、日本地図ができてしまった

#013
幕末
1860

「めしの話ばかり」大老が殺された年、27歳の単身赴任の侍が書いた195日

#006
大正
1922

アイヌ語には、文字がなかった。だから19歳の彼女は、書き方から作った

#011
昭和
1942

「不平は弱いものが言うものである」ガダルカナルで戦死した24歳の日記は、まだ帰れていない

#007
1943

戦死した兵士の手帳が、六十年後に家へ帰ってきた

#005
1943

「今日も、生きている」マキン島で拾われた名前のない日記は、敵の翻訳でしか残らなかった

#008
1944

太平洋戦争で最も過酷と呼ばれたペリリューの戦い。その終わりを告げた電報の余白に、名もない1行がある

#015
1945

三兄弟、全員戦死。——信州・安曇野に、三人の兄弟がいた

上原良司(全四話)
1945

「オイシイモノデモタベテクラシテ下サイ」飢えの島から、父が子どもたちに遺した言葉

#010
1945

「母チャンのいわれるようにした方がよかったかなあ」——出撃の二日前、二十三歳が母に書いた手紙

#014
1954

「必ズ遺書ヲ日本ニ屆ケテ欲シイ」シベリア抑留、紙を使えない収容所から4500字が帰ってきた

#012
すのちはまきをてらのふゆかしにも 黒い〇印。どの字に付いていたかは、蔵で ——【#002】

確かめられたことは、確かめたと。
分からないことは、分からないと。

紙片の日本史/Fragments of Japan
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