七日で回るものだけが、無かった
——暦と、休みの日
寛文六年(一六六六年)の伊勢暦を開くと、日ごとの欄が仮名でびっしり埋まっている。空白ではない。むしろ、いまの手帳よりも書き込まれている。
上の段に一つ、中の段に一つ、その日の名前がある。日そのものにも名前が振ってある。ただ、七日で一回りするものだけが、そこに見当たらない。
二百十年後、一枚の達が出る。「來ル四月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候條」。私たちの一週間は、そこから始まった。
このページは、動画では語りきれなかった暦注と、休みの日が入れ替わっていく過程を、原本の逐語でたどり直すものです。
① 日ごとの欄に、何が書いてあるか 🟢 確か
寛文六年の伊勢仮名暦。日ごとの欄には、少なくとも三種類の名前が並んでいる。
| 段 | 何 | 何日で戻るか |
|---|---|---|
| 上の段 | 宿の名(「胃宿」など) | 下の⑪を見てほしい |
| 中の段 | 「たつ」「のぞく」(十二直) | 十二日 |
| 日そのもの | 干支(十干+十二支) | 六十日 |
| 欄外 | 「三月せつ」「三月中」(節気) | 年に二十四 |
| 見出し | 「三月小」「四月大」(月の大小) | 二十九日か三十日 |
どうやって数えたか
変体仮名なので、一字ずつ読むことはできなかった。そこで、読むのをやめて、段ごとの黒の並びを n 日ぶんずらし、自分自身と重ねた。同じ語が戻る周期で、いちばんよく重なるはずである。
| 段 | 七日 | 十日 | 十二日 | 二十八日 |
|---|---|---|---|---|
| 干支の段 | 0.225 | 0.248 | 0.195 | 0.120 |
| 中の段 | 0.204 | 0.161 | 0.285 | 0.074 |
中の段は十二日でいちばんよく重なる。これは十二直(建・除・満・平…)と一致する。
干支の段は、十日と十二日が同時に立つ。十干が十日で回り、十二支が十二日で回るからで、この二つが同時に出る暦注は他にない。
七日については、下の⑪を見てほしい。
びっしりですね。じゃあ、日曜日はどこにあるんですか?
② 曜日は、年に一日だけ顔を出す 🟢 確か
「無い」のではない。
元祿十四年(一七〇一年)の伊勢暦を開くと、正月の頭に、こう刷られている。
正月大 建 庚寅 參宿値月 觜宿 火曜 値 朔日
元日は觜宿、そして火曜である、という一行。翌年、元祿十五年(一七〇二年)の暦は、こうなっている。
正月大 建 壬寅 心宿値月 女宿 土曜 値 朔日
七日で回る輪が、年に一日分だけ、顔を出している。
暦師は、元祿十四年が伊勢度會郡山田の福冨治五太夫、元祿十五年が同じ山田の中村宗太夫。どちらも巻頭に「貞享暦」と刷られている。
⚠️ 年の当てかたはこちらで測り直している。巻頭の外題(「元禄十四年かのとのミ乃貞享暦」「元禄十五年みつのえむま乃貞享暦」)、そこに刷られた干支(辛巳・壬午)、そして日数(「凡三百五十四日」「凡三百八十四日」)の三つが、どれも同じ年を指す。いまの数え方に直すと元祿十四年の元日は一七〇一年二月八日で火曜、元祿十五年の元日は一七〇二年一月二十八日で土曜。暦の一行と合う。
日ごとの欄はびっしり埋まっている。ただ、私たちが毎週使っている七日の輪だけが、そこには回っていない。
③ 明治になっても、役所は「一と六」で休んでいた 🟢 確か
明治元年一月二十一日(『法令全書 慶応三年-明治元年』/国立国会図書館デジタルコレクション)。
第四十四 正月二十一日 (御役所)
一每日巳ノ刻出勤申ノ刻退出
一一六ノ日休
宛先が「御役所」と紙に書いてある。だから、この達が誰の休みを決めたのかは、推測しなくてよい。
一と六のつく日=一日、六日、十一日、十六日、二十一日、二十六日。月に六回。
④ なぜ日曜になったのか——紙が言っていること 🟢 確か
明治五年四月二十九日(『公文録』/国立公文書館)。
當省兵學軍醫二寮ノ儀一六休暇ニテハ現實指
支ノ筋モ不少候間 自今日曜日ヲ以テ休暇相定申
候 此段御届申候也
壬申四月廿九日 山縣陸軍大輔
正院御中
「一六休暇ニテハ 現實指支ノ筋モ不少候間」——一と六の日の休みでは、実際に差し支えることが少なくないので。
「西洋に合わせるため」とは、一字も書かれていない。書かれているのは「実際に差し支える」だけである。
⑤ 同じ名前が、三度出てくる 🟢 確か
日曜に移った紙を、明治五年から順に並べると、四枚とも陸軍だった。
| 年月日 | どこが | 差出・署名 |
|---|---|---|
| 明治五年四月二十九日 | 兵学寮・軍医寮 | 山縣 陸軍大輔 |
| 明治五年八月七日 | 近衞局 | 陸軍省達 |
| 明治六年六月十四日 | 造兵司 | 山縣 陸軍卿 |
| 明治八年四月十八日 | 東京鎮台 | 山縣 陸軍卿 |
官職が「陸軍大輔」から「陸軍卿」に変わっている。
東京鎮台の届(国立公文書館)。
東京鎭臺休暇是迄一六日ニ候處 自今 兵隊同様 日曜日ニ改定致候
明治八年四月・陸軍卿 山縣有朋 → 太政大臣 三條實美殿
造兵司の届(同)。草書のため、読めた語だけを挙げる。
「當省造兵司是迄一六日休暇」/「同司ニ 雇外國人ハ」/「兵學寮同様 日曜日」
陸軍が国を動かした、とは紙に書かれていない。書かれているのは、順番だけである。
⑥ 横浜は、もう日曜に休んでいた 🟢 確か
明治五年十一月二十六日・神奈川県伺(国立公文書館・太政類典)。
神奈川縣伺
明治六年一月七日休暇日ノ儀ニ付御布告相成候通
リ休廳可仕ノ処當縣ノ儀ハ外國人接對ノ場所柄且
從前ヨリ日曜日ヲ休暇日トシ土曜日ハ第十二時ヨ
リ休廳ノ仕來ニ有之然ルニ御布告ノ通毎月一六ノ
日事務實際上ニ於テ休廳難仕場合モ有之候間當縣
三つのことが書いてある。
| 理由 | 「外國人接對ノ場所柄」 |
| すでにそうしていた | 「從前ヨリ日曜日ヲ休暇日トシ 土曜日ハ第十二時ヨリ休廳ノ仕來ニ有之」 |
| 困りごと | 「毎月一六ノ日 事務實際上ニ於テ 休廳難仕場合モ有之候間」 |
同じ紙の尚以書きに、こう続く。
尚以既ニ大陽暦ニ御改正ノ上ハ休暇ノ日モ歐亞
各國ト同般ニ相成候方御便利ト奉存候間日曜日
ヲ以御定被成候方可然ト被存候為念此段モ申上
候也
陸軍とは別のところで、同じ結論に達している。そして陸軍と同じ語を使っている——「實際」。
⑦ 半日の休みは、最初は水曜だった 🟢 確か
明治五年八月七日・陸軍省達 → 近衞局(国立公文書館・太政類典)。
近衞局一六ノ休暇ヲ廢シ兵隊同一日曜日ヲ以テ休暇トス
陸軍省達 近衞局
是迄一六之休暇ハ廢シ兵隊同様 日曜日ハ終日 水曜
日ハ午後半日之休暇ニ 此段相伺候也
指令
伺之通
| 明治五年八月(陸軍) | 「日曜日ハ終日 水曜日ハ午後半日」 |
| 明治九年三月(全国) | 「但 土曜日ハ正午十二時ヨリ休暇タルヘキ事」 |
半日の休みが、水曜から土曜へ動いている。
⑧ 五節句が、廃される 🟢 確か
明治六年二月十三日・太政官(国立公文書館・「改暦ニ付休暇定日ノ儀下議」)。
太陽暦御頒行ニ付
右五節句ヲ廢シ休暇無之候事
人日 上巳 端午 七夕 重陽
同じ紙に、こうある。
月々ノ休暇日ヲ改正候テハ如何
太陽暦が入った二か月後に、古い区切りが外され、新しい区切りを作り直す議論が始まっている。
⑨ そして、一枚の達 🟢 確か
明治九年三月十二日(『法令全書 明治九年』p.290/国立国会図書館デジタルコレクション)。
○第二十七號 (三月十二日 輪廓附)
院省使廳府縣
從前一六日休暇ノ處來ル四月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候條此旨相達候事
但土曜日ハ正午十二時ヨリ休暇タルヘキ事
一八七六年四月から、日曜が休みになった。土曜は、正午から。
そして、土曜が丸一日休みになるのは、ずっとあとのことである。
⑩ 写真で見る
いずれも保護期間の満了した資料です。
寛文六年(一六六六年)の伊勢暦
曜日の字が出てくる二枚
休みの日が動いていく紙
⑪ 諸説・確かめられなかったこと
上の段は、二十八宿ではないかもしれない 🟡 一つの資料による
国立天文台 暦計算室の解説に、こうある。「暦注としては貞享暦以降二十八宿に代わって採用され」、そして「二十七宿は…二十八宿と比較すると、牛宿がありません」。
寛文六年(一六六六年)は、貞享暦(一六八五年)より十九年前である。
決め手は「牛」の一字。宿の段に「牛」が出れば二十八宿、一度も出なければ二十七宿。「胃宿」では決まらない——胃は両方にある。
周期の測定でも、二十七日・二十八日ともに立たなかった(最大 0.226)。この段については、まだ決められていない。
「七が無い」を、機械で示せたわけではない 🟢 確か
七日の重なりも 0.20 前後は出ている。だから「測ったら七だけが無かった」とは言えない。
言えるのは、②のとおり「曜日の字は、年に一日分だけ見つかっている」ということである。
江戸期に、誰が一と六に休んだのか ⚪️ 確かめられなかった
一次資料に届かなかった。③の達は明治元年のもので、宛先は「御役所」である。
明治十三年を舞台にした小説に「師匠は日曜日に休まずに一六に休むので」という一行があり、そこでの主語は裁縫の師匠だが、これは明治の話であって、江戸の話ではない。
十二直の仮名は、資料によって違う 🟡 一つの資料による
| 危 | 納・収 | |
|---|---|---|
| 国立国会図書館『日本の暦』 | あやぶ | 収(おさん) |
| 国立天文台 暦計算室 | あやふ | 納/収 |
一六六六年の版面の仮名遣いは、現代の解説とは別の問題である。この蔵で確かな字は、原本で読んだ「たつ」「のぞく」の二つだけ。
寛文六年の伊勢暦そのもの 🟢 確か
国立国会図書館に「伊勢暦貼り込み帖」(書誌ID 024385668・請求記号 VF7-N579)があり、寛文六年の伊勢暦が含まれる(寛文五年刊・巻頭欠)。デジタル化されていないため、来館しないと読めない。
⑫ この紙が、言っていないこと
なぜ「実際に差し支えた」のか。その先は、どの紙にも書かれていない。
横浜は「外国人と接する場所柄」と書き、造兵司には「雇外国人」がいた。そこまでは紙にある。
その奥に何があったのかは、ここから先は想像するしかない。
墨絵イラストは本チャンネル制作(実在の人物・遺品の写実再現ではありません)。このページの記述は、原文画像・公的デジタルアーカイブで確かめられた範囲に限っています。確かめられなかったことは、そう書いています。