Archive ・ 紙片の日本史 #019 ・ より詳しく

犬が一匹で、伊勢まで
——見た人が、書き残した「伊勢參宮の犬」

明治三十八年(一九〇五年)に出た『江戸府内絵本風俗往来』という本がある。江戸で生まれ育った絵師が、消えていく江戸の暮らしを、文と絵の両方で書き残した本だ。

その上編に、「伊勢參宮の犬」という項がある。見開き二頁。文が一頁、絵が一頁。ここに、犬が一匹で伊勢参りに行く仕組みの一部始終が書いてある。

このページは、動画で語りきれなかった犬たちの記録の全体像を、原文の言葉と、確かめられた事実で辿り直すものです。

『江戸府内絵本風俗往来』上編「伊勢參宮の犬」の見開き
『江戸府内絵本風俗往来』上編「伊勢參宮の犬」の見開き(明治38年・東陽堂)。国立国会図書館デジタルコレクション/保護期間満了

① 仕組みの一部始終——原文が段取りまで書いている

本編で語ったのは、この項の背骨だけだ。原文はもっと細かい。たとえば、こんなことまで書いてある。

まず、当時の江戸には犬が多かった。原文は「江戸名物は犬の糞といふ戯言の通り、當時一丁毎に犬の少なくも五六疋は居ざる所はなし」と書く。一丁(約百九メートル)ごとに、五、六匹がいない所はない。犬は町の風景だった。

そして最初の一匹の話。ある大名行列が東海道をのぼる途中、供の中に一匹の犬がまぎれこんだ。最初は追っても打っても離れない。供の人たちはやがて気づく——「これは伊勢參宮の犬にてはなきや」。そこで、かねて聞いていた例にならって竹筒を作り、銭を入れて、犬の首に結んだ

つまり、竹筒は飼い主が付けるとは限らない。道中で気づいた人が、作ってやることもあった。「かねて聞いていた例にならって」——仕組みのほうが先に、みんなの頭の中にあった。

紙目(かみめ)

行列についてきた犬に、みんなで竹筒を作ってあげるんですよ。追い払うんじゃなくて。そこがもう、優しいですよね。

② 原文の言葉——確かめられた逐語だけ

以下は原画像(コマ30)から読み取った原文です。🟢=原文の画像で字を確かめたもの。読点は読みやすさのために補っています。

書き出し 🟢
茲に珍らしきことあり。そは何事ぞといふに、犬の伊勢參宮なり。必ず例年といふにはあらざれども、年によりて一疋二疋の犬、自然伊勢詣ふでを思ひ立つ
竹筒 🟢
竹筒を造りて犬の頸へ結付て、其筒中に若干の錢を入れて
宿場のリレー 🟢
參宮の犬と承知し、家内に入れて臥さしめ、食事を與ふ。竹筒より若干の錢其費に取出し、又心斗を返し遣はし、竹筒を本の通り頸に結付、犬は此家に泊して翌朝朝飯を喰ひ、又走行
伊勢に着くと 🟢
終に伊勢參宮を果す。伊勢宮司にては祉廟の御札を與へ、竹筒に納め遣す
帰ってきた犬に 🟢
扨は、八ヨ參宮し歸りしかといやまして愛す。町内擧りて、八ヨ八ヨと愛する

※「八ヨ」はルビのとおり「はよ」と読みます(原文の字は漢字+カタカナ)。

書き添え 🟢
今日は根もなき作言と聞給ふも道理なり。己れ蘆の葉、見しまゝを記するのみ

③ 帰り道——御札は竹筒に入れて帰ってくる

伊勢に着いた犬には、お宮の人が御札を出し、竹筒に納めて返した。犬は来た道をまた同じように送られて、自分の町内へ帰っていく。

帰ってきた犬を見た町内の人は「はよ參宮し歸りしか」——もうお参りして帰ってきたのかい、と言って、町内じゅうで可愛がったという。行きの銭も、宿も、帰りの道も、御札も。一匹の旅の一部始終が、知らない人の手だけでできている

竹筒を首に下げた犬の後ろ姿(本チャンネル制作の墨絵)
竹筒を首に下げて歩く犬(本チャンネル制作の墨絵イラスト・実在の犬の写実再現ではありません)。

④ 名前が残った犬——梯風(ていふう)

寛政十一年(一七九九年)、赤い毛の一匹の犬が伊勢へ向かっていた。途中で平戸の殿さま・松浦静山の行列と一緒になり、静山はこの犬を輿に乗せて連れていった。そして随筆『甲子夜話』巻七十八に書き残し、犬に梯風という名前をつけた。

道で会っただけの犬に、大名が名前をつけて、輿に乗せて、書き残した。名前が残っている参宮犬は、この梯風がいちばん有名だ。

『甲子夜話』の記述は、日本獣医史学雑誌の査読論文(小佐々学・2017)が直接引用しているものによります。

⑤ 伊勢だけではなかった——こんぴら狗

行き先は伊勢だけではない。讃岐の金毘羅にも犬が来ていて、こちらは「こんぴら狗(いぬ)」と呼ばれた。金刀比羅宮には、こんぴら狗を描いた資料が伝わるとされる。

⑥ 書いた人——蘆の葉散人・菊池貴一郎

『江戸府内絵本風俗往来』を書いたのは、菊池貴一郎。筆名を蘆の葉散人という。江戸の暮らしを見て育ち、明治になってから、消えた江戸を文と絵で書き残した。

この本の挿絵は、絵師に頼んだものではない。凡例に自分でこう書いている——絵は蘆の葉の筆になる、その時の風俗をなるべく写し出そうという心で、拙さを厭わず描いた。専門の画工の目で咎めないでほしい、と。文も絵も、「見たまま」を残すための道具だった

そして「伊勢參宮の犬」の項の結びに、あの一文を書き添えた。今日では根も葉もない作り話と聞こえるのももっともだ。自分は、見たままを記すだけである——。

「伊勢參宮の犬」の挿絵(蘆の葉散人の自筆)
「伊勢參宮の犬」の挿絵。犬を見送る街道の人々。これも蘆の葉散人の自筆。国立国会図書館デジタルコレクション/保護期間満了

⑦ 写真で見る

⑧ もっと深く——諸説・確かめられなかったこと

1. 銭が増えすぎて重くなると、銀に両替してやった 🟡 伝承

銭を入れられすぎて竹筒が重くなった犬のために、誰かが銭を銀に両替してやった——という話が伝わっている。研究書の紹介によるもので、今回読んだ原文には出てこない。本編でも「伝わっています」として置いた。

2. 犬の伊勢参りの最初は明和8年(1771年) 🟡 諸説

最初の記録は明和八年、というのが通説的に紹介される。ただし原資料(松阪商人の旅日記)に到達できていないため、この番組では年号を断定していない。

3. 須賀川の十念寺に「犬塚」がある ⚪️ 後世の顕彰

福島県須賀川市の十念寺には参宮犬を祀った犬塚があるが、碑は昭和四十四年の建立で、同時代の史料ではない。

結び——「江戸の黄耳」

最後に、ひとつだけ。この蔵にしか書かないことを。

蘆の葉散人は「伊勢參宮の犬」の項を、こう締めくくっている——「江戸の黄耳を茲に出しぬ」(🟢 原画像・コマ30の最終行)。

黄耳(こうじ)とは、千五百年以上前の中国・西晋の文人、陸機が飼っていた犬の名前だ。故郷への手紙を竹の筒に入れて首にかけ、遠い都から家まで届けたという故事が残っている。

竹筒を首にかけて旅をする犬。蘆の葉はこの故事から名前を借りて、江戸の参宮犬たちを「江戸の黄耳」と呼んだ。竹筒を首にかけて旅をする犬のことを、江戸よりずっと前にも、人が書き残していた。

▶ 本編を見る——犬が一匹で伊勢参りに行った 🗺 物語の地図で見る——江戸から伊勢まで

墨絵イラストは本チャンネル制作(実在の犬・人物の写実再現ではありません)。このページの記述は、原文画像・査読論文・公的デジタルアーカイブで確かめられた範囲に限っています。

江戸から、伊勢へ。