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上平啓州
上平啓州
中尉 海軍戦歴
横浜市生まれ、横浜2中卒業、昭12年9月創設された甲飛1期予科練応募合格、14年6月卒業して大分空・大村空・横空を経て15年8月12空配属(漢口基地進出)→16年3月14日の成都攻撃で列機の2番機として勇躍出撃、一挙4機(うち不確実1)撃墜→16年10月台南空転属、開戦当日のルソン島攻撃で1機撃墜を始めに比島・蘭印航空戦を転戦→17年4月新設6空(ミッドウェー予定部隊)転属、アリューシャン作戦参加→7月大分空転属、翌年4月飛曹長進級、10月381空転属してボルネオ・セレベス地区の防空にあたり、B-24迎撃で3号爆弾を活用し戦果あげる(とくに19年9月5日のメナド迎撃戦で単機でP-38を2機、B-24を5機[うち不確実2]撃墜する殊勲)→のちに負傷して本土へ帰還、特攻隊の教官で終戦
単機でB-24を5機撃墜する殊勲をあげたことがある
- 所属
- 大分空→大村空→横空→12空→台南空→6空→381空
- 撃墜の記録
- —(本文に総撃墜数の明記なし。成都4機・緒戦1機・メナドでP-38 2機/B-24 5機等の個別戦果のみ記載)資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面195
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