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兼子正
兼子正
中佐 海軍戦歴
弁護士を父として東京生→府立1中経て海兵入校→昭7第60期生卒業→10.7 26期飛行学生教程終了、戦闘機操縦者→空母竜驤の戦闘機小隊長として支那事変勃発迎え、12.8.22列機3機ひきいて上海付近哨戒中、カーチス・ホーク18機編隊と遭遇、激しい空戦で6機撃墜(自身も2機)、勇名を全国に知られる→9月広東攻撃後本土帰還、13.8 15空分隊長として中支戦線復帰、年末まで基地防空・地上部隊直協当たる→本土帰還後14.4 12空分隊長として漢口進出も空戦機会なく、15.5大村空、10月美保空分隊長歴任→16.9新造空母翔鶴分隊長転じ、真珠湾攻撃・サラモア攻撃・インド洋作戦参加→17.5 6空飛行隊長転じ、ミッドウェー進駐のため参加空母便乗出撃→兼子大尉は赤城便乗中、6.5米艦上機の波状攻撃受け、黙視できず列機4機伴い発艦、迎撃戦で大攻2機撃墜→赤城沈没で救助され本土帰還、飛鷹飛行隊長転じ、10月ソロモン海面出撃も母艦機故障で飛行隊はラバウル基地転進、10月下旬から連日ガダルカナル島進攻作戦参加→11.1少佐進級、陣頭で健闘、11.11ガ島攻撃でF4F3機撃墜、14日第38師団輸送船団援護に列機11機ひきいてブイン出撃した兼子少佐は午後2時半ごろ来襲した敵戦爆と交戦中、被弾自爆
母艦沈没後も再び陣頭に立ち船団援護中に自爆した指揮官
- 所属
- 竜驤→15空→12空→翔鶴(真珠湾)→6空(ミッドウェー)→飛鷹
- 撃墜の記録
- 総撃墜機数8機以上(公認)。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面255
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