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北畑三郎

北畑三郎

少尉 海軍

戦歴

兵庫県の農家生まれ・1932.6海軍入団→1933.2 21期操練採用、9月卒業・3空兵として延長教育(18才の少年)→竜驤/霞空/竜驤/佐伯空→1937.7支那事変勃発と同時に12空付発令→1937.9上海出動(空戦機会なし)→1938.9蒼竜組隊転属、秋に広東攻撃参加→1939.12横空転属→1940.7 12空付転属・漢口基地進出→1940.8.19第1回重慶攻撃(敵影見ず)→1940.9.13重慶攻撃で約30機の敵戦闘機と空戦、2機撃墜→1940.10.26成都攻撃、零戦隊(8機)第3小隊長として敵複座機隊・練習機計10機を共同で撃墜→1940.11大分空帰国→1942.4飛行長昇進、5月隼鷹乗組→1942.6.4-5ダッチハーバー攻撃参加、6.5帰途集合点でP-40編隊来襲、北畑・尾関の零戦2機が救援(各3機・2機撃墜)、オッター・ポイント飛行場を偶然発見→本土帰還後1942.10南東方面出撃、10.17ガダルカナル島攻撃・10.26南太平洋海戦参加→トラック帰投、1943.1.17ウエワクへの陸軍輸送援護のため飛行機隊の一部をウエワク飛行場派遣、来援するB-24の迎撃→1943.1.23迎撃戦でB-24編隊を攻撃中に負傷、壮烈な自爆

索敵中に、同方面唯一の米空軍根拠地オッター・ポイント飛行場を偶然発見した

所属
3空→12空→蒼竜→隼鷹
撃墜の記録
総撃墜機数10機(公認)以上資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
  • その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=海軍戦闘機隊 誌面239

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