People ・ 人の索引 ・ 紙片の日本史
周防元成
周防元成
少佐 海軍戦歴
1934 海兵62期卒業→1937.9 第28期飛行学生教程終了→1938.2 中支戦線出動(新参中尉)、飛行機事故で負傷→4.29 漢口空襲(初陣、被弾)→7.4 南昌上空空戦(2機撃墜)→15空転属、本土帰還→大分空教官→1939.10 大尉進級・14空分隊長(支那戦線再赴任)→1939.12.30/1940.1.10 柳州・桂林攻撃(各2機撃墜)→1940秋 漢口で零戦慣熟訓練→10.7 ハノイ前進、小福田大尉指揮零戦6機の第2小隊長として昆明進攻(単機4機撃墜、うち1機は空中衝突)→1942 元山空→1943.4 空技廠テストパイロット(雷電実用実験)→1942.12 252空飛行隊長(ムンダ基地、菅波大尉戦死の後任)→ムンダ・パレレ防空、ブナ攻撃、ガダルカナル撤退援護、ラエ船団輸送→部隊全滅を経てルオット収容→11.24 零戦19機指揮しマキン島銃撃出撃、洋上でF6F群に奇襲され燃料槽被弾、着陸(攻撃不成功)→1944.3 本土帰還、5月少佐進級、元山空・築城空飛行隊長として終戦→戦後 航空自衛隊、空将まで昇進し退職
日本海軍初の空中衝突による撃墜を記録した寡黙な戦術家
- 所属
- 12空→元山空→空技廠(雷電テストパイロット)→252空→築城空
- 撃墜の記録
- 支那事変での個人撃墜11機(士官中最高)、総撃墜数15機資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面205
ご指摘・お問い合わせは contact@fragmentsjapan.com まで。制作方針は こちら。