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小林保平
小林保平
少佐 海軍戦歴
1939海兵第67期生卒業→1942.6第36期飛行学生教程終了・翔鶴戦闘機隊配属→1942.10.26南太平洋海戦の上空直衛が初陣→築城空分隊長転属→1943.2翔鶴分隊長復帰、トラック基地で編隊空戦・戦闘爆撃法錬成→1943.11飛鷹飛行隊長転属→1944.1末ラバウル進出、2月中旬トラック引き上げまで連日陣頭指揮で空戦→1944.3 652空分隊長→1944.6.19マリアナ沖海戦、2航戦制空隊指揮官として米空母機動部隊攻撃に向かうも発見できずグラマン大群に奇襲され、小林隊は身をもって攻撃隊をかばい次々自爆、小林大尉も被弾・不時着水するも救助→再建瑞鶴戦闘機隊隊長として比島沖海戦出撃→1944.10.25上空直衛を果たすも同夜の海戦で乗艦(瑞鶴)と運命を共にする
身をもって攻撃隊をかばいながら次々と自爆していく部下を率いた
- 所属
- 翔鶴→築城空→飛鷹飛行隊長→652空→瑞鶴
- 撃墜の記録
- 総撃墜機数10機以上資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面240
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