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小田喜一

小田喜一

少尉 海軍

戦歴

大正2新潟県生→昭6海軍入団、主計兵→翌年11.18期操練卒、戦闘機操縦者転科→大村空・横空・原翔経て横空戻る→支那事変勃発直後の12.8加賀乗組、上海沖出動→9.19南京第1次攻撃、13空の96艦戦12機が主力の中、加賀からも五十嵐大尉指揮3機参加も1,2番機は機不調で引き返し、3番機の小田2空曹機だけ進出、首都上空空戦でカーチス・ホーク3機(うち不確実1)撃墜→10.7の詔関攻撃時の空戦で1機追加、12月霞空帰還→翌13空、6.15空転じ中支戦線復帰活躍後11月本土帰還→1航艦編成時、空母蒼龍乗組となり真珠湾攻撃で第2次攻撃隊制空隊第3小隊長として出撃、カネオヘ飛行場銃撃→17.4インド洋作戦、コロンボ上空の激烈空戦で3機撃墜、9日には母艦直衛中来襲ハドソン邀撃で小隊4機撃墜→6月ミッドウェー作戦で母艦上空直衛中蒼龍沈没、救助され本土帰還→翌年5月飛曹長昇進、予備役編入も即日召集、岩国・呉空教員→19.4 261空発令、マリアナ基地進出、内南洋転戦→7月戦闘306飛行隊付転じトラック残留→12.10潜水艦イ-365号に便乗し本土帰還途中、小笠原方面で乗艦沈没、運命を共に。海軍少尉進級、戦死認定

単機で進出し首都上空で戦果をあげた粘り強さ

所属
加賀→蒼龍→261空→306
撃墜の記録
総撃墜機数9機(公認)。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
  • その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=海軍戦闘機隊 誌面249

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