小野了
小野了
中尉 海軍戦歴
大正4大分県生→昭7海軍入団、機関兵として大村空勤務中、操縦員志望で翌8.9.23期練習生、9.4卒業、艦攻操縦員として大村空2空兵配属、19才→竜驤、加賀勤務を経て、支那事変勃発直後の12.8再び加賀乗組となり中南支各地の爆撃出動活躍→とくに13.4.13の広東攻撃では、猛爆ながら敵機と空戦に入り1機撃墜、また7.18の南昌攻撃では、15空に属し指揮官松本少佐の2番機として参加、小川中尉と共に敵飛行場に着陸して在地機を焼き払い、さらに空戦で2機撃墜する殊勲、一躍名声→同年11月本土帰還、大村・宇佐空教員経て1空曹昇進、17.2値でしたに転じ、月光の実用実験に当たり、4月台南空に転属ラバウル進出、各地の偵察当たる→8.7米軍がガダルカナル島上陸するとしばしばソロモン方面の偵察飛行出動、成果あげる→11月本土帰還、翌18年5月ふたたびラバウルに進出、斜め筒装備に改装した夜間戦闘機「月光」に搭乗して、浜波苦作中尉(偵察員)とのコンビでしばしば敵爆撃機の夜間邀撃出動、戦果あげ工藤上飛曹と並んで「夜の王者」と称された→初戦果は18.6.5夜の2機撃墜(B-24)、6.10にも2機(B-17、うち不確実1)撃墜→7月に入るとバレレ基地に前進して夜間邀撃・爆撃隊随伴、19.1厚木空帰る→4月322空戦闘804飛行隊転じ、5月少尉昇進、19.10 141空編入されてルソン島に進出、ニコラス基地からレイテの夜間爆撃出動、この間敵戦闘機に攻撃され機体に147発被弾したこともあった→同年末本土引きあげ、352空転じ、終戦までB-29迎撃当たり1機撃墜の戦果あげただけで終戦
在地機焼き払いと空戦を同時にこなし「夜の王者」とも並び称された
- 所属
- 蒼竜・加賀→大村・宇佐空→横空(月光実験)→台南空→322空804→352空
- 撃墜の記録
- 総撃墜機数8機(公認)。資料により差があります
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面259
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