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川戸正治郎
川戸正治郎
上飛曹 海軍戦歴
京都府の農家生まれ、昭17年5月舞鶴海兵団入団、丙12期予科練28期飛練を経て18年7月卒業→9月末輸送機で補充兵員とともにトラックへ送られ、零戦を受領して10月10日ラバウルの激戦中の253空に赴任(弱冠18才)→11月2日のラバウル迎撃戦でB-25編隊と正面から射ち合い発火した1機の下方で衝突、落下傘降下着水も救助(1回目の体当り)→11日の迎撃戦で敵艦爆撃墜直後、後方から敵戦闘機に奇襲され被弾炎上、高度150mから落下傘降下着水で救助(火傷と左脚負傷で約1ヵ月空戦を休む)→12月17日P-39と正面反抗で撃ち合い衝突、相手操縦士とともに落下傘降下着水し高速艇に救助、翌日の空戦には出撃→のちB-24の尾翼体当りを計画し19年2月6日ラバウル上空で決行、落下傘降下成功も6ヵ所負傷、着水救助→2月20日ラバウル上空で全機後退したが、川戸上等兵は少数の僚機とともに残留しゲリラ的な迎撃戦に活躍(この間253空解隊後は105航空基地隊付)→20年3月9日夕方、複座零戦(僚機同乗)でB-25追撃に出たまま行方不明・戦死と認定されたが、実際は海に不時着後、敵に発見され攻撃中に被弾、海中に突入・重傷を負ってジャングルで一人生活後、豪州捕虜となり12月レイテ以降容所から帰還した
体当り3回・被撃墜2回・落下傘降下4回という異例の記録を持つ
- 所属
- 253空
- 撃墜の記録
- 総撃墜機数18機資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面189
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