村中一夫
村中一夫
少尉 海軍戦歴
大正8福岡県生→昭10.6乙6期予科練入隊、13.8飛練課程卒、佐伯・大分・大村空経て14.8 14空付配属、南支戦線出動→12月14空の96艦戦隊は海口から敵包囲下の南寧に進出、村中3空曹は少し遅れて27日追及、直ちに午後列機野1空兵とともに上空哨戒中敵単発機の偏隊発見、空戦に入り追撃して共同2機(うち不確実1)撃墜、初陣で14空の初戦果を飾る→翌年1.10の桂林攻撃参加後、15.8鈴鹿空帰る、開戦直前の16.11飛竜乗組転じ、真珠湾攻撃では第1次攻撃隊制空隊に加わり敵影見ずバーバース飛行場在地機銃撃→その後ダーウイン・インド洋作戦・ミッドウェー作戦転戦、とくに17.6.5第1次攻撃隊制空隊員としてミッドウェー島攻撃向かい、迎撃してきた敵戦闘機群と空戦、ただ1機で終始飛竜艦攻隊の直衛果たす→帰艦後母艦上空の直衛に発艦、来襲する敵撃隊迎撃、3機(うち不確実1)撃墜ののち被弾不時着水、駆逐艦野分に救助→負傷回復後、空母翔鶴ついで隼鷹転じ、8月第2次ソロモン、10月南太平洋両海戦参加、11月ラバウル基地進出、ガダルカナル島作戦出撃、翌年4月徳島空教員で本土帰還→19.5戦闘機の実用教育部隊である11空(シンガポール)転じ、20.5少尉昇進、343空戦闘701飛行隊付移って大村帰還、7.24豊後水道上空空戦で1機撃墜ほか、数次の空戦参加ののち終戦。戦後航空自衛隊入って3空佐で退職
単機で艦攻隊の直衛を果たし、戦後は自衛隊に転じた
- 所属
- 14空→飛竜(真珠湾)→翔鶴・隼鷹→11空→343空701
- 撃墜の記録
- 総撃墜機数は確実6、不確実3機。資料により差があります
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面260
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