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森貢
森貢
中尉 海軍戦歴
明41静岡県生→昭2海軍入団、4.5 14期操練卒(戦闘機隊古参の一人)→昭7第1次上海事変で加賀乗組出動、上海飛行場前進、地上直協・哨戒任務も間もなく停戦→大村空・赤城付・筑波空・館山空経て13.1 13空付、3月改編で12空転属→着任1週間後の2.18、小隊長として12空(指揮官金子大尉)と合同で中攻援護、初の漢口空襲参加、迎撃30数機の敵戦闘機と単機空戦の技術発揮、初陣で一挙4機撃墜(うち2機は肩すかしによる正面衝突)→14.1本土帰還まで約1年、漢口・南昌等の攻撃に参加、毎回戦果、異例の功5級金鵄勲章授与(この間の撃墜数は判明せず)→14.1から鈴鹿空教員、翌年5月空曹長昇進、予備役編入も即日召集、17.7飛鷹乗組配属で再び実戦復帰(34才)→10月ラバウル・ブイン基地進出、約1カ月、数次のガダルカナル島攻撃参加、11日F4F1機、14日艦爆1機撃墜も被弾不時着救助→翌年4月「い」号作戦参加でラバウル再派遣、ガダルカナル島・オロ湾・モレスビー・ミルン湾各攻撃で2機追加→5月少尉昇進、本土帰還、航空技術廠テストパイロット転じ→翌年8月中尉昇進と同時に退役。昭和35年郷里で病死
初陣でいきなり4機撃墜し、後にテストパイロットに転じた
- 所属
- 加賀→12空→飛鷹
- 撃墜の記録
- 撃墜数は支那事変で4機以上、太平洋戦争で5機が公認されている。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面250
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