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橋口嘉郎

橋口嘉郎

飛曹長 海軍

戦歴

福岡生まれ・1937海軍入団→1938.9 42期操練卒→佐伯空/大分空/大村空→1939.6 12空配属・中支出動→1939.10敵の爆撃で負傷、2ヶ月余入院加療後回復→1940.1鈴鹿空教員帰任→1941.11 3空(202空)付発令、開戦後は比島・蘭印航空作戦転戦→1942.2.9ヤンデ島の電信所を銃撃・炎上させるも防御砲火で右大腿部に貫通銃創、機上で止血処置し2時間40分飛行して帰投→1942.4-夏ダーウイン攻撃参加→1942.9からの約2ヶ月ラバウル進出、数次のガダルカナル島攻撃参加、10.18小隊協同で7機撃墜→1942.11南西方面復帰、歴代飛行隊長の2番機としてダーウイン攻撃活躍→1943.6大分空転属→1943.12母艦部隊(601空翔鶴戦闘機隊)先任搭乗員として錬成→1944.6「あ」号作戦出撃も生還→1944.7 653空戦闘164飛行隊付転属→1944.10捷号作戦参加のため陸路沖縄へ向かうも機故障で引き返し、空母千代田に乗艦して比島沖海戦出撃→1944.10.25母艦(千代田)沈没時に行方不明・戦死認定

大腿部を貫通銃創で負傷しながら止血し、2時間40分飛行して帰投した

所属
12空→3空(202空)→601空翔鶴→653空164
撃墜の記録
撃墜機数10機以上(公認)資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
  • その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=海軍戦闘機隊 誌面241

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