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相生高秀
相生高秀
中佐 海軍戦歴
明45広島県生→昭6海兵59期卒→9.7 25期飛行学生→館山空・竜驤・佐伯空→12.7 12空配属、周水子派遣→大村復帰→8月上海事変で公大飛行場進出、95戦哨戒・陸戦協力→12月大尉進級、霞ヶ浦空分隊長→13.3 12空分隊長、中支戦線→初陣4.29漢口攻撃(イ-15を2機撃墜)→6.26南昌攻撃(苦闘の末各機2機ずつ撃墜)→漢口空戦数回→12月赤城分隊長→14.10一時12空転出(南支出動)→15.1赤城復帰、大分空・横空経て竜驤飛行隊長で開戦→12.8ミンダナオ沖からダバオ攻撃(反撃なし)→17.2 3空飛行隊長、11月少佐→18.4まで202空飛行隊長(ダーウイン攻撃、ガダルカナル進攻作戦で陣頭指揮)→19.8 601空飛行隊長(地上指揮)→19.10比島沖海戦で瑞鶴沈没、駆逐艦救助・比島上陸→20年春本土帰還、343空副長で終戦。戦後海上自衛隊入隊、海将・自衛艦隊司令官で退役
苦戦の南昌空戦を切り抜け戦後は海将まで務めた指揮官
- 所属
- 竜驤→3空→202空→601空→343空副長
- 撃墜の記録
- 撃墜機10機。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面244
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