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福井義男

福井義男

大尉 海軍

戦歴

大正2香川県生→昭6佐世保海兵団入団、最初整備兵→10.3 26期操練卒、戦闘機操縦者転科→大村・鹿屋空経て竜驤乗組中に支那事変勃発、主として陸戦協力、8月上海沖出動→鮫子中尉の2番機として宝山上空哨戒中、カーチス・ホーク8機発見、うち3機は福井2空曹の個人戦果→南支移動、9.21の南支初空襲で目標上空進入時、視力の良い福井1飛曹が最初に敵戦闘機群発見、突入して2機撃墜→12月横鎮転属、翌年4月再び加賀乗組として母艦勤務戻り、晩秋まで主として南支作戦従事、この間9.13柳州攻撃でカーチス・ホーク1機奇襲撃墜、さらに対地銃撃を反復→12月赤城転属、その後谷田部空・鹿屋空・百里原空・大分空教員歴任、この間16.4空曹長進級→18.6久しぶりに瑞鳳乗組発令、第1線務に復帰、11.1ラバウル進出、翌2日ラバウル戦爆連合大空襲を受け、味方100機以上の戦闘機が迎撃し大戦果、福井少尉は椰子林すれすれの低空でB-25を撃墜後被弾炎上、落下傘降下して右足に火傷を負ったが3日後戦列復帰、進攻作戦参加後トラックへ帰投→19.2 601空付転じ翔鶴乗組、「あ」号作戦参加、6.19第1次攻撃隊制空隊の小隊長として米機動部隊攻撃、空戦で1機撃墜(不確実)、20日夜には直衛機として来襲した米機動部隊機を邀撃、夜間母艦に着艦→7.11比653空戦闘165飛行隊転じ、10.24比島沖海戦参加、瑞鶴より米機動部隊攻撃出撃も、母艦沈没後直衛駆逐艦救助→304飛行隊転じ、陸路比島バンバン基地進出、20.1本土引きあげ、352空付で終戦

落下傘降下で足を火傷しながら3日後には戦列復帰した

所属
竜驤→加賀→赤城→瑞鳳→601空→653空165→352空
撃墜の記録
総撃墜機数11機(うち不確実4)。資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
  • その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=海軍戦闘機隊 誌面254

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