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福田澄夫
福田澄夫
少佐 海軍戦歴
徳島生まれ・1941.3海兵第69期生卒業→1943.2第37期飛行学生教程終了・空母隼鷹乗組→1943.4「い」号作戦のためラバウル進出、ガダルカナル攻撃が初陣(空戦機会なし)→オロ湾・モレスビー攻撃参加後本土帰還→1943.7中旬隼鷹艦戦隊ブイン基地進出、連日激烈な空戦→1943.9.1福田中尉204空編入→1943.11.4 252空転属までの約2ヶ月、ラバウル・ブイン迎撃戦・レンドバ攻撃に指揮官として健闘(自身6機撃墜)→252空でマーシャル群島タロア基地防空、1943.11.25マキン島銃爆撃で11機撃墜も6機喪失・企図中止→タロアにB-24波状空襲、連続直上攻撃法により1ヶ月で約50機撃墜も1944.1末までに機材の大部を喪失、トラック・本土へ撤退→1944.3大尉進級・神ノ池空教官→1944.7新編634空戦闘163飛行隊長・徳島基地錬成→1944.10捷号作戦発動、比島クラーク基地進出→1944.10.24総攻撃の日、ルソン島東方の米機動部隊攻撃に向かうも有力な米戦闘機群と空戦、行方不明・戦死認定
連続直上攻撃法という独自戦術で、B-24相手に1ヶ月で約50機を撃墜した
- 所属
- 隼鷹→204空→252空→神ノ池空→634空163
- 撃墜の記録
- 総撃墜機数11機資料により差があります
この人の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面236
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