遠藤幸男
遠藤幸男
中佐 海軍戦歴
大正4山形県生→昭5.6予科練第1期生として横空入隊、霞ヶ浦で飛行課程修業、8.6卒業、艦攻操縦員として館山空錬成→赤城・霞ヶ浦・大村空勤務経て12.12蒼竜乗組転じ、13年春中支方面出動、5月南京派遣隊加わり約2カ月拏子江周辺の陸上作戦協力→14.12百里原空、ついで館山空、大村空教員、この間15.5空曹長、17.11少尉、翌18.11中尉進級→17.5霞ヶ浦で予科練教育当たり、18.1 251空付発令、2式陸偵操縦者転じ、小園司令発案の夜間戦闘機月光の斜め銃装備第1号機実験担当、成算得て5月ラバウル進出→数次夜間邀撃出撃も戦果は工藤1飛曹・小野了飛曹長らに奪われ、遠藤少尉は戦運恵まれず負傷し内地帰還→19.3 302空新設と同時に月光夜戦隊分隊長任命、厚木基地で錬成に入るも6月B-29北九州空襲開始に及び遠藤中尉は6機8組の月光搭乗員ひきいて大村基地352空派遣→8.20 B-29来襲時、遠藤中尉は単機で脱去するB-29追撃、済州島に不時着も撃墜2、不確実1、撃破2の戦果→10.25大村上空B-29迎撃戦でも傷ついた1機を長駆追撃して止め刺す→11月厚木引きあげ、一時列機3機ひきい八丈島前進もまもなく復帰→12月中旬以降関東・東海地区来襲B-29夜間迎撃戦活躍、20.1.14午後遠州灘上空の白昼迎撃戦で撃墜1、撃破1機ののち遠藤機は被弾火災、まず同乗の偵察員尾崎上飛曹を落下傘で脱出させ(戦死)、燃える機を操縦し渥美半島上空まで帰り、高度約300メートルでみずから落下傘降下を試みるも大火傷のため戦死。前年10月九州B-29撃墜戦果に西部軍司令官賞詞・佐鎮長官感状を受けていたが、戦死後あらためて横鎮長官表彰・防衛総司令部の布告受け、2階級特進、海軍中佐進級
「B-29撃墜王」と呼ばれ最期は僚機を先に脱出させて自らは力尽きた
- 所属
- 蒼竜→251空(月光斜め銃装備第1号機)→302空
- 撃墜の記録
- 遠藤機のB-29のみの戦果は撃墜8、撃破8と記録されている。資料により差があります
まだ分かっていないこと
- 顔写真:まだありません。戦時中に報道された人でなければ、公有のまま使える肖像はほとんど残っていません ⚪️
- その後:戦後どう生きたかは、この資料には書かれていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています 🟡 索引。伝記ではありません。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=海軍戦闘機隊 誌面256
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