Units ・ 部隊の目録 ・ 紙片の日本史
飛行第244戦隊
飛行第244戦隊
🟡 索引- 通称号
- 帥34213
- 編成地
- 調布市
- 軍旗拝受
- 1941
- 主な戦域
- 第二次世界大戦・(ソ連対日参戦)
戦歴
1941.7.20 埼玉・豊岡の航空士官学校で飛行第144戦隊として編成、調布で帝都防空→1942.4.15 飛行第244戦隊と改称(4.18 ドーリットル空襲のB-25を追撃)→1943.7 3式戦「飛燕」に改変→1944.11 マリアナからのB-29東京空襲が始まり、体当り専門隊を編成→1944.11.28 小林照彦大尉が着任=陸軍戦闘隊最若年の戦隊長、自らも体当りして落下傘で生還→体当りは1945.4までに計18回・戦死7名=本土防空戦隊で最多。体当り後の生還者も相次いだ→1945.4.15 夜間迎撃で撃墜16・撃破8→1945.5 感状(この時までの総合戦果は撃墜84機うちB-29型73機・撃破94機うちB-29型92機)→5式戦に改変して知覧へ、特攻直掩→6.3 知覧上空でF4U群と交戦し7機撃墜→7.25 八日市上空でF6F群を奇襲、過半数の12機を撃墜→終戦
7.25の12機撃墜は、司令部の出動禁止令の下「戦闘教練」の名目で行われた。当初は軍令違反として強く叱責されたが、天皇の御嘉賞の言葉が伝えられて情勢は逆転。以後は監視の参謀が戦隊本部を離れないまま、終戦の日を迎えた——と本にある
首都圏の防空にあたり、「近衛飛行隊」と自他ともに称した
この部隊の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
- 連隊長:この部隊の欄は、資料では読み取れませんでした(誌面の上端が欠けています)。
- この部隊にいた人:連隊長のほかは、まだ名前を集められていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています。一次資料で確かめられたものだけが、いずれ🟢になります。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=戦闘機隊の本(陸軍) 誌面235–239
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