飛行第50戦隊
飛行第50戦隊
🟡 索引- 通称号
- 誠9914
- 編成地
- 台中
- 軍旗拝受
- 1940
- 主な戦域
- 日中戦争-第二次世界大戦
戦歴
1940.9 台湾・屏東で飛行第8戦隊戦闘中隊を基幹に編成→1941.12 比島進攻(バタン島の狭小なバスコ飛行場から船団掩護)→1942.1 ビルマへ転用、ラングーン航空戦→1942.4〜6 内地で1式戦「隼」に改変→1943.1.26 穴吹智軍曹がビルマ初のB-24昼間撃墜→1943.10.8 穴吹軍曹が単機でB-24型3機(うち1機は体当り)・P-38型2機を撃墜、異例の生存者個人感状→1943.12.5 陸海軍合同のカルカッタ進攻に参加→印支連絡空輸路の妨害(「辻斬り」)→1944 インパール作戦を支え第3航空軍から部隊感状→1944.8 4式戦に改変→1945.3.28 船団を身を挺して守った藤井辰次郎戦隊長ら4機が自爆、個人感状と再度の部隊感状→1945.7 台湾へ転用、沖縄特攻掩護の待機のまま終戦→1946.2 復員(ビルマ航空戦の戦果は感状で撃墜破237機・空中勤務者戦死82名)
1943年10月末、マウントバッテン連合軍総司令官がインドから中国へ飛ぶとの情報を得て、選抜の8機がミートキーナで3日間交代の待ち伏せをかけた。輸送機数機を墜としたが、当人の搭乗機だけは追及を逃れて無事中国に着き、隊員を失望させた——と本にある。本はこの隊を「64戦隊と並ぶビルマ航空戦の主役でありながら、あまり知られない地味な存在に留まった。しかし戦績は決して劣るものではない」と評している
垂直尾翼から主翼付根まで描かれた電光(稲妻)の部隊マークで知られる
まだ分かっていないこと
- 連隊長:この部隊の欄は、資料では読み取れませんでした(誌面の上端が欠けています)。
- この部隊にいた人:連隊長のほかは、まだ名前を集められていません。
このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています。一次資料で確かめられたものだけが、いずれ🟢になります。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。
出典=戦闘機隊の本(陸軍) 誌面132–139
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