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飛行第64戦隊

飛行第64戦隊

🟡 索引
通称号
高9124満州404
編成地
河南省安陽
軍旗拝受
1938
主な戦域
日中戦争-ノモンハン事件-第二次世界大戦

戦歴

1937.7 前身の飛行第2大隊が北支へ出動(1938 帰徳空戦で陸軍戦闘機隊の声価を一挙に高める)→1938.8.1 飛行第64戦隊を編成→1939 ノモンハン(撃墜確実52機、戦隊長・中隊長らも被撃墜負傷)→1941.4 加藤建夫少佐が戦隊長に着任→1941.12 開戦。マレー・シンガポール・パレンバン空挺作戦・ジャワと転戦、感状を重ねる→1942.4 ビルマ・ローウィンでフライング・タイガースに奇襲され4機喪失→1942.5.22 加藤戦隊長、アキャブ沖でブレニムを追撃中に被弾、海中に自爆→以後もビルマの空を終始担当、B-24の夜間撃墜・体当り撃墜も→1944.4.26 宮辺飛行隊長が単機でB-29と交戦(陸軍航空初のB-29交戦)→1945 仏印へ、南方軍隷下唯一の戦闘戦隊として戦い続け→1945.8.24 可動18機で最後の飛行を試み、歴史を閉じた(全期間の戦果は撃墜283機うち不確実25・地上撃破144機、操縦者戦死122名)

戦隊歌には「七度重なる感状の」という一節があるが、感状は終戦までに九度に達した——64戦隊ほど多くの感状に飾られた部隊は他になかった、と本は感状九通の一覧を掲げている

「加藤隼戦闘隊」——加藤建夫中佐が率いた隊の愛称として、最も広く知られる。部隊歌の軍歌『加藤隼戦闘隊』と同名の映画(1944年・東宝)で、戦時中から国民的に知られた。一式戦「隼」の愛称そのものが、この隊の部隊歌の冒頭から取られたとされる。

この部隊の紙片は、まだ蔵にありません。
まだ分かっていないこと
  • 連隊長:この部隊の欄は、資料では読み取れませんでした(誌面の上端が欠けています)。
  • この部隊にいた人:連隊長のほかは、まだ名前を集められていません。

このカードは、一冊の本から写した事実だけでできています。一次資料で確かめられたものだけが、いずれ🟢になります。空いている欄は、その本にそう書かれていないという意味です。推測では埋めていません。

出典=戦闘機隊の本(陸軍) 誌面172–183


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