名前が、括弧の中にしかない
陸軍中野学校、昭和十五年
昭和十五年、東京。陸軍が、秘密戦の学校をつくりました。
このページは、動画(第二十六話)で語りきれなかった全体像を、書かれた言葉と、確かめられた事実で、たどり直す場所です。どこまで確かなのかを、一つずつ添えました。
① 名前が、括弧の中にしかない
正式な名前は 後方勤務要員養成所といいます。「陸軍中野學校」という名前は、この年の紙の上では、括弧の中にしか出てきません。
昭和十五年度入所セシムヘキ 後方勤務要員養成所(陸軍中野學校) 第二期丙種(下士官)學生ノ銓衡ヲ…
🟢 確か昭和15年6月15日「特種勤務要員(下士官)候補者銓衡予定ノ件」
学生を集めるとき、この学校は自分の名前を書きませんでした。
各地の軍学校から、二種類の推薦が上がってきます。学校側が名指しした者が百九十八名、本人の希望などによる推薦が百八十六名。合わせて 三百八十四名。
内地關係各學校(隊)長ヨリ候補者(指名)第一種(乙種長期學生候補者)百九十八名 第二種(乙種學生候補者)百八十六名 合計三百八十四名ノ推薦ヲ受ケタルヲ以テ
🟢 確か昭和15年4月12日「昭和15年度特種勤務要員候補者銓衡試験実施の件」
この三百八十四名は、書類で二百九十七名に絞られ、口頭試問で 百四十一名になりました。
考科概要並所屬長ノ意見等ニ徵シ審査ノ上 第一種百四十一名第二種百五十六名計二百九十七名
🟢 確か同上
そして、その百四十一名を、憲兵司令部が調べます。
目下憲兵司令部ニ依賴嚴密ナル身元調査ヲ實施中ナリ
🟢 確か同上
試験場は、東京、豊橋、久留米、熊本、千葉、仙台、盛岡の七か所でした。
② 学校が、学生から聞き取っていたこと
この綴で、いちばん目を引くのは、試験の結果ではありません。
受験した若者一人ひとりに、「この試験の話を、誰から、どう聞いたか」を聞き取った表が付いています。
特種勤務要員銓衡ニ方リ學校(隊)側ノ採リタル處置ノ一例(學生ヨリ聽取セルモノ)
🟢 確か同上
学生の答えが、そのまま書き写されています。
二 『特務機關ノ諜報ニ關スル件』トシテ一人宛呼ハレテ希望ヲ取ル
🟢 確か
最初人選ノ時ハ何ノ意味カ判ラナカツタカ後特務機關業務ヲヤルト云ハレタ
🟢 確か
陸軍テハ軍服ヲ着スニ働ク重要ナル仕事アリ希望ナキヤ
🟢 確か
『君ハ將來情報部ニ廻ルカモ知レヌ』ト云ハル
🟢 確か
『チベット』『印度』等ニ行クノダガト總務課長云フ
🟢 確か
そして、答えの横に、学校からの評が入っています。
稍々本人ニ云ヒ過キルノ感アリ
🟢 確か
(學校内ニテ相當銓衡シタルハ可ナルモ)防諜上適當ナラス
🟢 確か
秘密がどこまで漏れているかを、入ってくる学生の口から測っていた、ということになります。
③ 買い物の紙
この学校を作るための経費の綴は、百八十四コマあります。この件のなかで、いちばん厚い紙です。
費目が、一行ずつ書いてあります。翻訳料は三百円。被服の明細もあります。
高等官用外套
🟢 確か昭和15年7月から10月「陸軍中野学校設立ニ伴フ所要経費ノ件」コマ4
十八人分。
そして、この綴のなかで、金額が書かれていない費目が一つだけあります。外国旅費です。
必要ヲ生シタル際詮議スルコトヽシ特ニ令達セス
🟡 諸説同綴コマ2・意味の読み取りは各説あり
これが何を意味するかは、書いてありません。役所の紙は、会計に出せる形にした実態しか書きません。ここでは「そう書いてある」「そこには金額が無い」までにとどめます。
④ 規則を作った、という報告だけが残る
昭和十五年九月三日。軍極秘の紙が一枚あります。
陸軍中野学校防諜假規定制定セシニ付 別冊報告ス
🟢 確か昭和15年9月3日「陸軍中野学校防諜假規定制定ノ件」
一コマだけです。
スパイを防ぐための規則を作りました、という報告が残っていて、規則そのものである「別冊」は、この綴にありません。
別冊が最初から綴じられなかったのか、後で分かれたのかは、この綴からは分かりません。⚪️ 裏付けなし
⑤ 消えることを、事務の言葉で書く
もう一つ、軍極秘の綴があります。件名は、こうです。
陸軍中野学校学生採用予定者中削除ニ関スル件
🟢 確か昭和15年9月14日
人が一人、入学の予定から外れた、という書類です。
貴管下左記者ハ…特別教育予定者中ノトコロ 原隊ニ於テ幹部候補生ヲ免セラレタルニ依ル 該特別教育ヲ免セラレシニ付…
🟢 確か同上
左記 歩兵第十四連隊附見習士官 權代良三
🟢 確か同上
この紙の本文には「中野学校」の語が出てきません。「特別教育」と書いてあります。校名は件名にしかありません。
そして、この綴には、入った百四十一人の名簿がありません。
綴に無い、ということまでが確かめられたことです。どこか別の場所に在るかどうかは分かりません。⚪️ 裏付けなし
⑥ 昭和十六年六月九日の、馬
同じ件名の並びに、こういう紙が混じっています。
定員外臨時増加配属人員(馬匹)削除。昭和十六年六月九日。二件。
秘密戦の学校の綴に、馬を減らす書類が入っています。特別なことは何も書かれていません。人と同じ「削除」という語が使われている、というだけです。
⑦ 終戦の翌年、学校が住所を書く
昭和二十一年一月二十三日、連合国軍総司令部から、日本側に要求が出ます。
日本側はまず、十校の一覧を出しました。この一覧に、中野学校はありません。🟢 確か(昭和21年2月9日「陸軍諸学校に対する調査回答に関する件」)
四か月後、二度目の一覧が出ます。
一、参謀総長所管学校 イ 陸軍大学校… ロ 陸軍中野学校 所在地 東京都中野区囲町
🟢 確か昭和21年6月8日「渉外報第85号 軍関係学校調査ノ件」
学校は、場所を答えました。人の名前は、この一覧にはありません。
⑧ 写真で見る
いずれも防衛省防衛研究所(アジア歴史資料センター)所蔵の資料です。最後の一枚をのぞきます。
⑨ 諸説・確かめられなかったこと
各項目に、確かめた度合いを付けました。 🟢 確か一次資料で裏が取れている 🟡 諸説文面は原文のとおりだが、読み取りが分かれる ⚪️ 裏付けなしこの綴からは分からない
- 🟢 確か 三百八十四名の内訳(指名百九十八・推薦百八十六)、二百九十七名、百四十一名、七つの試験場、憲兵司令部による身元調査。すべて原文にあります
- 🟢 確か 「後方勤務要員養成所(陸軍中野學校)」の括弧、「防諜上適當ナラス」、「稍々本人ニ云ヒ過キルノ感アリ」、權代良三の名前、昭和二十一年六月の住所
- 🟡 諸説 外国旅費の記載(「必要ヲ生シタル際詮議スルコトヽシ特ニ令達セス」)。文面は原文のとおりですが、その意味の読み取りには各説あります
- ⚪️ 裏付けなし 「別冊」がどこにあるか。この綴にはありません
- ⚪️ 裏付けなし 入った百四十一人の名簿がどこにあるか。この綴にはありません
- ⚪️ 裏付けなし 權代良三の読み。「ごんだい」とも読めますが、確かめられていません
- ⚪️ 裏付けなし 上田昌雄の肩書き。記録によって「所長」とも「幹事」とも書かれています
ここにだけ置く一つ
経費の綴には、判が十一個押された決裁の面があります。
この学校を作るために、十一人が判を押しました。そのうちの一人、試験の紙にも判を押している人の名前が、上田昌雄といいます。
名簿の残っていない百四十一人と違って、作った側の名前は、判の形で残っています。
出典
- 「昭和15年度特種勤務要員候補者銓衡試験実施の件」昭和十五年四月十二日=防衛省防衛研究所
- 「特種勤務要員(下士官)候補者銓衡予定ノ件」昭和十五年六月十五日=防衛省防衛研究所
- 「陸軍中野学校設立ニ伴フ所要経費ノ件」昭和十五年七月から十月=防衛省防衛研究所
- 「陸軍中野学校防諜假規定制定ノ件」昭和十五年九月三日=防衛省防衛研究所
- 「陸軍中野学校学生採用予定者中削除ニ関スル件」昭和十五年九月十四日=防衛省防衛研究所
- 「陸軍諸学校に対する調査回答に関する件」昭和二十一年二月九日=防衛省防衛研究所
- 「渉外報第85号 軍関係学校調査ノ件」昭和二十一年六月八日=防衛省防衛研究所
- いまの中野の写真=Wikimedia Commons
引用はすべて原文のままです。旧字・歴史的仮名遣いも紙面のままにしています。
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この記事の事実は、一次資料にもとづいています。掲載した資料の画像は、防衛省防衛研究所(アジア歴史資料センター)所蔵のものです。
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