戸籍の訂正(こせきのていせい)とは
名前を直すのに、裁判所の許可が要った
意味
戸籍の訂正とは、戸籍に書かれた内容を直すことです。
いまの感覚では、間違いを見つけたら役所の窓口に言えば直りそうに思えます。ところが、かつての戸籍法はそうなっていませんでした。直すには、裁判所の許可が要ります。
大正三年(一九一四年)に出た解説書『改正戸籍法要義』には、第五章として「戸籍ノ訂正」が置かれています。その第百六十四條に、こう書かれています。
利害關係人ハ其戸籍ノ存スル市役所又ハ町村役場ノ所在地ヲ管轄スル區裁判所ノ許可ヲ得テ戸籍ノ訂正ヲ
利害関係のある人が、その戸籍が置いてある市役所か町村役場のある場所を受け持つ区裁判所の許可を得て、訂正する。戸籍は、役所の一存では動かせない紙でした。
仕組み
- 直すには裁判所を通る。第百六十四條は、訂正の申し出を区裁判所の許可にかからせています。戸籍が身分を証明する紙である以上、書き換えは簡単であってはならない、という考え方がここに出ています。
- 人が消えるときにも節がある。同じ本の第十節は「死亡及ヒ失踪」です(頁百九十八)。亡くなったとき、行方が分からなくなったとき、戸籍の上でどう扱うかが、届出の章の中に置かれています。
- この法律の下で作られた戸籍が、その人の一生に効く。大正四年に施行された戸籍法のもとで編製された戸籍は、その後に生まれた人の身分を、戦後まで証明し続けました。
紙片との接続「戸籍が、ない」
第三十話で追った佐藤正は、大正十一年ごろの生まれです。この本が解説している法律のもとで作られた戸籍を持っていたことになります。
昭和二十一年十月、コロ島からの引き揚げで、他人の名前のまま帰国しました。婚約者の家から戸籍を用意してほしいと言われたとき、自分の戸籍が消えていることを知ります。
いつ消えたのか、誰が消したのか、そもそも軍の措置だったのかどうかも、証言に語られていません。分かっているのは、結婚しようとしたときに戸籍が無かったという事実だけです。
札幌にいた奉天時代の同期生に保証人になってもらい、新しい戸籍を作りました。生まれた年も少し変えています。結婚式は婚約者の郷里である秩父で挙げましたが、戸籍の上では北海道が本籍になりました。取り戻した名前は、もとの名前と少し違うものになっています。
どういう手続きが取られたのかは、証言に出てきません。ここに置いたのは、当時の戸籍がどういう法律のもとにあったかであって、この人がどの条文を使ったか、ではありません。
この言葉が出てくる紙片
- 名前を三つ持った男(昭和二十一年から二十二年・引き揚げと戸籍)
(今後、この語が出てくる紙片が増えるたび、ここに加わります。)
出典
- 『改正戸籍法要義』戸籍学会・大正三年(国立国会図書館デジタルコレクション pid 952361)。「戸籍ノ訂正 第百六十四條」頁二百八十二/「第十節 死亡及ヒ失踪」頁百九十八。
- 『証言 陸軍中野学校 卒業生たちの追想』斎藤充功・バジリコ・2013年(佐藤正の証言・頁113から119)
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