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豫科練(よかれん)とは
——十五歳が入れた、海軍の入口

意味

正しくは飛行豫科練習生。海軍が、飛行機に乗る者を育てるために置いた課程です。戦後は「予科練」と書かれます。

昭和五年(一九三〇年)に始まりました。高等小学校を出た程度で入れる——つまり、十五歳で入れる入口でした。当時、飛行機に乗る道は陸軍に五つ、海軍に五つの合わせて十本ありましたが、そのうち十五歳が入れるのは二つだけです。豫科練は、そのひとつでした。

三つに分かれていた

豫科練は一つではありません。甲種・乙種・丙種の三つがあり、違いは勅令に書かれています。

第二十九條 飛行豫科練習生ノ種別及其ノ修業期間ヲ左ノ如ク定ム
種別修業期間誰から選ぶか
甲種一年六月条文に書かれていない
乙種二年六月条文に書かれていない
丙種六月すでに海軍にいる兵から選ぶ(第二十九條ノ二)

この勅令が定めているのは、三つの種別と、それぞれの修業期間までです。丙種については、次の條で「誰から選ぶか」まで書かれています。甲種と乙種が、それぞれどういう学力の人を入れたのかは、この條文には書かれていません。

甲種は中学校の四年まで、乙種は高等小学校卒業程度——という説明はよく見かけますが、その線を定めた条文を、こちらではまだ確かめられていません。昭和八年の案内書も、昭和十三年の志願者心得も、「高等小学校卒業程度」の一本で、甲乙の区別をまだ持っていません。確かめられたら、ここに足します。

丙種だけは、性格が違う

条文は、こう始まります。

第二十九條ノ二 丙種飛行豫科練習生ハ海軍兵ニシテ左ノ各號ニ該當スル者ノ中ヨリ之ヲ選拔ス

「海軍兵ニシテ」——すでに海軍にいる兵の中から選ぶ、ということです。だから丙種には年齢の上限が書かれています。二十三年以下。

外から入る入口ではなく、中で選ばれる入口でした。丙種で入る人は、一度海軍に入ったあとで、もう一度、志願していることになります。丙種ができたのは昭和十五年(一九四〇年)九月です。

期間は、伸び縮みした

同じ条文に、もう一行あります。

但シ修業期間ハ時宜ニ依リ多少伸縮セシムルコトアルベシ

期間は、時と場合によって伸び縮みさせることがある。法律の側が、最初からそう書いています。

⚠️ ここで、書けることと書けないこと

豫科練という語は、しばしば戦争の終わりのほうの出来事と結びつけて語られます。けれど、この語そのものが指しているのは入口の制度で、行き先ではありません。

確かめられるのは、条文が何を定めていたか、というところまでです。ここではそこまでを書いています。

数字が残っている、二つの期

戦後、戦闘機に乗った人たちを一人ずつ調べた本が出ています。その最初のページに、亡くなった人の総数は正確には記録されていない、と書かれたうえで、二つの期の数字だけが挙げられています。

戦闘機に乗った人戦死
第三十六期 飛行学生(昭和十七年六月卒業)28人24人
甲種豫科練 第四期(昭和十六年九月卒業)21人20人

同じ本の中に、陸軍側の同じ数字は書かれていません。

出どころ

十五歳の前に、十本の道があった(超詳細版)→

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