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一木支隊——もう一枚の紙
歩兵第二十八連隊を基幹とする、ある部隊のこと
このページは、部隊の戦史を語るためのものではありません。一人の日記(丸田年道)の背景に、もう一枚の紙——命令書——があったこと。その二枚の紙を並べて見るために、あります。
一木支隊とは
昭和十七年(一九四二年)、旭川で編成された歩兵第二十八連隊を基幹とする部隊が、指揮官の名をとって「一木支隊」と呼ばれました。
この部隊は、もともとミッドウェー島に上陸するために動員されました。けれど六月のミッドウェー海戦で日本が大敗し、上陸するはずの島は失われます。行き場をなくした部隊は、グァム島(日記の呼び名では「大宮島」)に留め置かれました——丸田の日記が、南の島の日々を書きつづっていた、あの数か月です。
もう一枚の紙——命令書
八月、日本軍はガダルカナル島の飛行場をアメリカ軍に奪われます。「取り返せ」という命令が出たとき、いちばん近くにいたこの部隊が選ばれました。
その命令書に、こう書かれています——
兵力なお不明なるも、上陸後の活動は、必ずしも活溌ならず— 第十七軍命令要旨・昭和十七年八月十三日
つまり、上陸したアメリカ軍を、それほど強くない、と見ていた。敵はおよそ二千人と見積もられていました。実際にいたのは、およそ二万。送り込まれた先発の隊は、およそ九百人です。
月と、菊の畑を書いた紙丸田の手帳
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敵をあやまって見積もった紙命令書
この二枚が、同じ八月の、同じ海の上で、一方へ運ばれていきました。
(命令書=アジア歴史資料センター Ref. C25080307200・防衛研究所所蔵。引用は原文を生取得で確認しています。)
この部隊の紙片たち
- 丸田年道——この部隊の一兵士。手帳は、いまも太平洋の向こうの箱の中にいます。
- 指揮官・一木清直大佐自身の日記や手紙は、いまのところ見つかっていません(残っていれば、いつか、ここに)。
- 部隊誌『一木支隊全滅』(一九七九年)には、戦死した隊員たちの遺稿が眠っている可能性があります。確かめられれば、また新しい紙片が、ここに加わるかもしれません。
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