蔵 ・ 紙片の日本史 #009 ・ より詳しく

捨てられたから、残った
——千三百年前のゴミの穴から出てきた、名もなき人たちの紙片

奈良の地面の下から、木の札が出てきます。ゴミを捨てた穴から。溝の底から。数にして、平城宮跡だけで何万点も。

紙が高価だった時代、人びとは木の札——木簡——に字を書きました。書き損じれば小刀で削って書き直し、使い終われば捨てた。捨てられたから、土の中で千三百年残った。役所の帳簿でも、貴族の日記でもない。誰も「残そう」と思わなかった字だけが、残りました。

このページは、動画で語りきれなかったこの札たちのことを、確かめられた事実で辿り直す場所です。

① 一メートルの立て札——馬を探しています

動画の主役になった一枚から。迷い馬の告知札です。個票の釈文(原文)は、こう読めます。

告知 往還諸人 走失黒鹿毛牡馬一匹/在験片目白/額少白
件馬以今月六日申時山階寺南花薗池辺而走失也 九月八日
若有見捉者可告来山階寺中室自南端第三房之

道を行くみなさんへ。黒鹿毛のオス馬が一頭、いなくなりました。目印は、片方の目が白いこと。額にも少し白いところ。今月六日の夕方、山階寺の南の花園の池のあたりで。見つけて捕まえてくださった方は、山階寺の中室、南から三番目の部屋まで——。

構造は、現代の迷い犬ポスターとまったく同じです。宛先、特徴、いなくなった日時と場所、そして連絡先。

そして物理が語ります。この札、縦993ミリ。ほぼ一メートルの板です。手に持って読む札ではなく、道端に立てた札——千三百年前の「張り紙」の実物が、平城京の左京一条三坊の跡(奈良市法華寺東町)から出土しました。

馬が見つかったのかどうかは、記録に残っていません。

② 三文字の連絡、九九の練習

同じ奈良の土から、こんな札も出ています。

病不参

三文字だけ。病気なので、出勤しません。千三百年前の役人の欠勤連絡が、そのまま残っています(平城宮の宮域東南隅から出土・削屑)。

九廿七○二九十八○一九如九
五八卌○四八卅二○三八廿

九九です。2×9=18、1×9=9、5×8=40——。役所のエリア(平城宮東方官衙地区)から出た、細く薄い小片。仕事で使う覚えだったのか、誰かの練習だったのか。それは、分かりません(→⑧の3)。

紙目(かみめ)

三文字の連絡を、千三百年後にわたしたちが読んでいる。……体がきつくても、ちゃんと札に書いて届けた。えらい、です。

木簡とは——書いて、削って、また書いて、捨てる →

③ 長屋王邸のゴミの山——一九八八年八月二十六日

一九八六年から八九年にかけて、奈良市二条大路南のデパート建設予定地で発掘調査が行われました。一九八八年八月二十六日、奈良時代の貴族邸宅の跡が、大量の木簡とともに見つかります。約四万点。その中の「長屋親王」と書かれた札から、ここが長屋王——奈良時代はじめの左大臣——の邸宅だったと分かりました。

正史が長屋王について記すのは、政変で邸を囲まれ、自尽したこと(七二九年)。けれど邸のゴミから出た札たちが語るのは、まるで別のことです。

・鶴二隻米四升○/受□万呂/○〈〉∥○◇・○十月卅日○◇

鶴二羽に、米四升。十月三十日。

・□〔御ヵ〕犬四頭米□〔四ヵ〕→・○四月四日

御犬(おそらく)四頭に、米。四月四日。別の日の札には「犬五頭二升半」——頭数は伝票ごとに動きます。

・太若翁犬米一升受小白九月十七日◇・○豊国○◇

若様の犬に、米一升。受け取りは、小白。九月十七日。七月の札にも同じ小白がいて、犬の世話が続いていた日常が、二枚で見えます。

アワビの荷札、氷の記録、犬と鶴の餌の伝票。捨てられた伝票の束が、正史より雄弁に、この屋敷の暮らしを語っています

発掘のあと、遺構の多くは建設工事で失われました。跡地はデパートになり、いまはショッピングモール(ミ・ナーラ)。敷地の一角に、記念碑がひとつ立っています。

④ 名前と年齢だけが、残った

長屋王家の札の中に、削り屑があります。

持麻呂○/年十三∥○子羊○/年十∥

持麻呂、十三歳。子羊、十歳。

鶴の世話係(鶴司)の少子——子どもの職員たちです。別の札には、鶴司の少子三人(虫万呂・田人・国嶋)の飯六升の伝票もある。千三百年前に働いていた子どもたちの、名前と年齢だけが、ゴミの山から出てきました

前回(#008)の書き手は、言葉が残って、名前が残りませんでした。この子たちは、名前と年齢が残って、それ以外が何も残っていません。歴史に「残る」ということの、もう一つの形です。

紙目(かみめ)

持麻呂さんも、子羊さんも、犬のごはんの受け取りで千三百年残るとは、思っていなかったでしょうね。……それで、いい気がするのです。

同じ「名前と年齢」の札に、もう一枚あります。この回を見てくれた奈良の方から、教えてもらった木簡です。釈文(原文・個票逐語):

□牟須売〇/年五十九/左∥〇日参佰弐拾玖〇/□/〇□〔坊ヵ〕∥

牟須売、五十九歳。出勤日数、三百二十九日。

女官の勤務評定に使われた考課木簡です。出たのは、②の九九の札と同じ役所のエリア——平城宮跡の東方官衙地区。奈良文化財研究所の報告によれば、同宮跡で女官の考課木簡が見つかったのは、これが初めてとされています🟡 諸説

律令では、評価の対象になるために必要な出勤日数が決められていました。長上は二百四十日、分番は百四十日、舎人は二百日🟡 諸説。三百二十九日は、その下限をずいぶん越えています。そして男の役人の考課木簡では、三百日未満が多数を占めていたといいます🟡 諸説。この人は、多いほうです。

もう一つ。同じ「上日」(出勤日数)の札に、こういう書き方のものがあります。

无位井戸臣百嶋○/年廿九/右京∥○上日○/日三百廿六/夕二百六∥○「并五百卅二」

日、三百二十六。夕、二百六。合わせて五百三十二。

昼と夜が、別に数えられている。日勤が三百二十六日、夜勤が二百六回、足して五百三十二。一年は三百六十五日しかないので、昼も夜も出た日があるということです。

千三百年前の役所が、誰が何日出たかを、木の札に一人一枚ずつ書いて数えていた

牟須売という名前と、五十九という年齢と、三百二十九という日数だけが、残っています。

紙目(かみめ)

五十九で三百二十九日。……ちょっと、休みませんか。

出典=木簡庫(奈良文化財研究所)個票 6AAEMR43000106(牟須売/年五十九・上日329日・平城宮東方官衙地区)/6AFITF11000193(井戸臣百嶋/年廿九・日326・夕206・并532)。いずれも釈文逐語・2026年取得。

⑤ 本編で語らなかった一枚——氷室の仕様書

蔵にだけ出す札があります。都祁の氷室の記録——迷い馬の札(99センチ)を超える、縦1.25メートルの巨大な木簡です。釈文(原文・個票逐語):

・都祁氷室二具深各一丈/廻各六丈∥○取置氷○/一室三寸/一室二寸半∥○令被草千束○/一室各五百束∥○苅廿人○/一人各五十束∥功応給布三常〈〉○/〈〉∥○米四斗塩一升○戸加須加比二具応造鉄二斤
・○和銅五年二月一日火三田次

和銅五年(七一二年)二月一日。都祁(現在の奈良市都祁)の氷室二基。深さは各一丈、まわり六丈。蓄える氷の厚さは三寸と二寸半。覆いの草が千束——一室あたり五百束。刈り手は二十人、一人五十束ずつ。報酬は布、それに米四斗と塩一升——。

冷蔵庫のない時代、貴族の夏の氷は、冬のうちにこうして山に蓄えられました。氷の準備の段取りが、数字ごと一枚の板に残っている。「氷のカレンダー」と紹介されることもありますが、実物は暦ではなく、氷室の造営と管理の仕様書です(→⑧の1)。

⑥ 国宝になったゴミ

平城宮跡から出土した木簡3,184点は、二〇一七年、一括して国宝に指定されました。迷い馬の札も、病欠の連絡も、この土から出た仲間たちです。

誰も残そうと思わなかった字が、千三百年後に国の宝になる。「歴史の本流から外れて残った紙きれ」というこのチャンネルの看板の、いちばん古い実例が、この札たちです。

地図(/map)で辿る →

⑦ 写真で見る

⑧ もっと深く——諸説・確かめられなかったこと

歴史に、これは確実だと言い切れることは、そう多くありません。だからこのページは、「確かなことだけ」を選んで載せるのではなく、確かでないことは「確かでない」と書いたうえで、載せます

各項目の末尾に、確かめた度合いを付けました。 🟢 確か一次・二次資料で裏が取れている 🟡 諸説資料や研究者で見方が分かれる ⚪️ 裏付けなしもっともらしいが、証拠がない

1. 「氷のカレンダー」ではなく「氷室の仕様書」 🟢 確か

⑤の札は、紹介記事などで「貴族の氷カレンダー」と呼ばれることがあります。しかし個票の釈文が示すのは、氷室二基の寸法・氷の厚さ・覆いの草の量・人員・報酬——つまり造営と管理の仕様です。年(和銅五年=七一二年)は釈文に明記されています。呼び名の軽さに、実物の中身を合わせない。

出典=木簡庫個票 6AFITC11000261(釈文逐語・2026年取得)。

2. 「山階寺」はどの寺か 🟡 諸説

迷い馬の札の連絡先「山階寺」は、興福寺の前身(旧称)とする読みが通例です。ただし札は寺名を記すのみで、「南の花園の池」の位置も特定されていません。札そのものの出土地は平城京左京一条三坊(奈良市法華寺東町)——寺から離れた場所で見つかっている、という面白さも含めて、断定しないまま置きます。

出典=木簡庫個票 6AFBCS10000014(遺跡名・国郡郷里欄)。

3. 九九の札は、覚えか、練習か 🟡 諸説

②の九九の札の用途は、実務の覚え(早見)とする見方と、習書(字や数の練習)とする見方があり、個票が確定させてくれるのは「九九が書かれた札が役所エリアから出た」ことまでです。「カンニングペーパー」と紹介されることもありますが、それは現代のたとえ。分からないことは、分からないまま——それがこの札のいちばん誠実な読み方です。

出典=木簡庫個票 6AAFJE27000125

4. 「犬四頭・鶴二羽の台帳」は、一枚ではない 🟢 確か

長屋王家のペットの記録は、「犬4頭・鶴2羽の餌代台帳」とひとまとめに紹介されがちですが、実物は日付の違う複数の伝票です。犬四頭(四月四日)、犬五頭(別の削屑)、鶴二羽に米四升(十月三十日)、若様の犬に米一升(九月十七日)——それぞれ別の札。まとめると分かりやすくなり、分けると正確になる。蔵では、分けたまま並べます。

出典=木簡庫個票 6AFITB110008996AFITB110018766AFITD110001026AFITC11000124(いずれも釈文逐語・2026年取得)。

5. 木簡の年代は「幅」で出る 🟢 確か

木簡の多くは、出土した遺構の年代観——たとえば迷い馬の札なら「710〜907年」——というで示されます。一枚単位で「何年の札」と断定できるものは、氷室の仕様書(和銅五年と自記)のような例外です。このページで年代をぼかしている箇所は、ぼかしが正確だからです。

出典=木簡庫 各個票の遺構年代欄。

6. 告知札は、どこに立てたのか ⚪️ 裏付けなし

一メートルの札を、誰の許可で、道のどこに立てたのか。制度の裏付けは、今回の調べでは取れていません。もっともらしい説明を足すことはせず、札の物理(長さ・厚み)だけを事実として置きます。

出典=なし(裏付けが取れていないこと自体の記録)。

出典一覧

このチャンネルは、資料の選定・事実の検証・言葉の解釈と最終判断を、すべて人間が行っています。制作の一部(音声合成・画像の様式化・翻訳補助)にAIを使っています。詳しくは制作方針へ。

⑨ 動画で見る/次の一枚へ

次の一枚を、探しにいきます。チャンネル登録と、この動画の高評価が、その力になります。

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この記事の事実は、一次資料(木簡庫個票の釈文)にもとづいています(主な出典は 動画の概要欄 にも)。掲載写真はパブリックドメインまたはCC BY等の公開ライセンスの資料です(各クレジット参照)。木簡単体画像の出典:ColBase。