学徒出陣(がくとしゅつじん)とは
——大学の机から、そのまま戦場へ
意味
学徒出陣とは、それまで徴兵を猶予されていた大学・専門学校の学生が、その猶予を打ち切られて軍に入れられたことです。
昭和十八年(一九四三年)、戦局の悪化を受けて、文科系を中心に在学中の徴集延期が停止されました。昨日まで講義を受けていた学生が、そのまま兵になったのです。上原良司も、慶應義塾大学の学生から陸軍へ入りました。
仕組み
- 徴集猶予——それまで、一定年齢までの在学者は徴兵を先延ばしにされていました。学業を続けるための制度です。
- 猶予の停止——昭和十八年、その猶予が打ち切られます。対象になった学生は、在学のまま徴兵検査を受け、入営しました。
- 出陣壮行会——同年十月、神宮外苑で大規模な壮行会が行われました。雨の中を学生が行進する映像が残っています。
上原が入営したのは、その年の十二月です。訓練の感想を書く「修養反省録」に、彼はこう書きました。
教育隊ニ人格者少ナキヲ遺憾トス
上官を批判したこの一行には、朱書きでこう返っています——「貴様ハ上官ヲ批判スル気カ」「学生根性ヲ去レ!」。 学生であったことが、赤い字で消されようとしている。学徒出陣とは、この一行のことです。
出典:上原良司「修養反省録」の記述と朱書き=超詳細版③(2026年に一次テキストで確認)。
「学生だった」ということ
学徒出陣で軍に入った人たちの多くは、書き慣れていました。読み、考え、言葉にすることを日課にしていた人たちです。だから紙が残る。上原が出撃前夜に書いた「所感」も、その一つです。
⚠️ただし「だから優れている」とは言いません。書き残せた人と、書き残せなかった人がいた、というだけのことです。
行き先は、陸軍だけではありません
同じ学徒出陣で、海軍へ入った人もいます。林市造——京都帝国大学 経済学部から海軍へ。原本の記録に残っているのは、生年月日と、学校の名前と、亡くなった日だけです。
上原は陸軍から、林は海軍から、それぞれ出ました。同じ制度で大学を離れた人が、別々の軍に分かれています。
出典:林市造の名前の欄=第十四期会編の遺稿集p.186。⚠️入隊の月や配属の経緯は、この欄には書かれていません。詳しくは超詳細版②へ。
この言葉が出てくる紙片
(今後、学徒出陣で軍に入った人の紙片が増えるたび、ここに加わります。)
上原良司 超詳細版 → 林市造 超詳細版 → 第56振武隊 → 応召とは →
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