Glossary ・ 用語 ・ 紙片の日本史
天文方(てんもんかた)とは
——幕府の、空と暦の役所
意味
天文方とは、江戸幕府で天文観測と暦づくりを司った役職です。
いま私たちはカレンダーを買いますが、江戸時代、暦を作るのは幕府の仕事でした。日食や月食がいつ起きるかまで、暦は先に書いてあります。だから、空とずれた暦は、直さなければなりません。それを担ったのが天文方です。
仕組み
- 暦を作る——暦のもとになる計算法を改めることを改暦といいます。寛政の改暦(1798年施行)は、天文方に登用された高橋至時が担いました。
- 観測で答え合わせをする——日食・月食は、暦の予測が正しいかを試す試験のようなものでした。1798年の部分月食で、至時は自分の作った暦の予測が「半刻計の遅れ」だったと、書状に自分で記録しています。
- 測量と地図——国土地理院の資料によれば、至時は各地の緯度を調べて緯度1度の距離を算定しようと考え、蝦夷地までの測量と地図作りを幕府に願い出ました。その担当者として推薦したのが、弟子の伊能忠敬です。
役所に、外から人が来る
寛政の改暦のとき、それをやれる人間が、幕府の天文方の中にいませんでした。幕府は1795年(寛政七年)、大坂にいた民間の学者・高橋至時を江戸へ呼び、天文方に抜擢します。
同じ年、下総国佐原の商人・伊能忠敬が五十一歳で隠居を許され、この至時に入門しました。師は十九歳年下。役所であるはずの天文方が、このとき、学びたい人の行き先になっています。五年学んだ忠敬は、五十六歳で蝦夷地へ歩き出しました。
至時が1804年に没すると、長男の高橋景保が二十歳で天文方を継ぎました。忠敬の地図は、師の子の代まで、この役所とともにあります。
この言葉が出てくる紙片
- 伊能忠敬(測量日記/高橋至時の書状「半刻計の遅れ」1798年)
(今後、天文方にかかわる紙片が増えるたび、ここに加わります。)
ご指摘・お問い合わせは contact@fragmentsjapan.com まで。制作方針は こちら。